笠間市(歴史)概要: 笠間市中心部の歴史は鎌倉時代の建保2年(1214)、佐白山と布引山との間に宗教対立が起こり、仲裁に入った領主宇都宮氏家臣塩谷時朝が両寺とも焼き討ちし承久元年(1219)佐白山に笠間城を築いた事が始まりとされ、塩谷氏は笠間氏と名を改めこの地を380年余り支配しました。笠間氏は天正18年(1590)主家である宇都宮氏の意に背き豊臣秀吉による小田原攻めに参加しなかった事から笠間氏は取り潰しとなり、蒲生郷成が入封されます。
江戸時代に入ると笠間藩の藩庁が置かれ、短期間に様々な大名が入れ替わり永享4年(1747)、牧野貞通が8万石で藩主となりようやく安定した藩政が行われ明治維新まで続きます。笠間市の友部町には慶長7年(1602)秋田(秋田市土崎)から5万石で移封となった秋田氏が宍戸藩を立藩、当初は宍戸城を居城にしていたと思われます。
正保2年(1645)2代藩主秋田俊季が三春藩(福島県三春町)に5万5千石で移封になると宍戸藩は廃藩となり宍戸城も廃城となります。その後、天領となりますが天和2年(1682)水戸藩主徳川光圀が弟松平頼雄(徳川頼房の7男)に1万石を分地して改めて宍戸藩を立藩させました。宍戸松平家は定府大名で城持ちの格式ではなかった為、天明7年(1787)陣屋を構え重臣を配しましたが実質的には水戸藩が政務を担当していました。
又、笠間市は城下町だけでなく日本三大稲荷と称される笠間稲荷神社の門前町、水戸城下と奥州街道の小山宿を結ぶ結城街道の宿場町にもなっていました。
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