石岡市(歴史)概要: 石岡市の歴史は古く7世紀に建国された常陸国(11郡)の中心である常陸国府が市内に整備されました。関連施設である常陸国分寺や常陸国総社宮(常陸一ノ宮の鹿嶋神社と同格に位置づけられた。)も建立され政治、軍事、文化の中心的役割を持っていました。中世に入ると水戸城から追われた大掾氏は府中城を居城として周辺を支配しますが戦国時代末期、豊臣秀吉に臣下の礼を取った佐竹氏が常陸統一を果たし大掾氏は衰退します。佐竹氏は関が原の合戦で東西中立を保った為、秋田へ移封され替わって出羽六郷(秋田県美郷町六郷)から六郷氏が1万石で入り府中藩を立藩します。
元和8年(1662)に最上騒動が起こり最上家が改易、山形城受け取りを行った本多正純が宇都宮城釣天井事件により態度を硬化した為改易となり、最上領の一部である本荘(由利本荘市)に六郷氏が2万石で入ります。府中には皆川氏が信濃飯山より1万8千石で入り、元禄13年(1700)には徳川家康11男で水戸徳川家初代藩主徳川頼房の5男松平頼隆が2万石で入り藩主となります。
松平氏は水戸徳川家の分家の立場だった事もあり城郭ではなく陣屋を構えるに留まり、定府大名だった事もあり基本的には江戸詰めで参勤交代などもありませんでした。府中松平家は10代まで続き明治維新を迎えています。
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