古河市(歴史)概要: 古河市は康正元年(1455)、鎌倉にいた関東管領足利成氏が幕府と対立、成氏は古河城に拠点を移し古河公方を名乗り周囲に強大な勢力圏を築いた事で北関東の中心的な都市として重要視されました。成氏が死去すると一族間の対立が度々起こり、戦国大名として巨大化出来ず、次第に北条氏に従属するようになりました。
5代古河公方足利義氏には男子がなかった為一時断絶、豊臣秀吉の命により義氏の娘の氏姫と一族である足利国朝とを婚姻させ古河公方家が再興し後の喜連川氏(喜連川藩主)の祖となりました。
江戸時代に入ると幕府から戦略的拠点として重要視され歴代古河藩主には譜代大名が配置され(江戸時代中期以降は土井氏8万石)、古河城は将軍の日光東照宮(栃木県日光市)参拝の折には宿舎として利用されました。
又、古河市は奥州街道の宿場町や利根川、渡良瀬川の舟運の拠点として経済的に発展し多くの物資が運び込まれました。
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