行方市(歴史)概要: 行方市は古くから開けていた地域の1つで、曲玉を作る一族が住んでいたとされ大型の前方後円墳が点在し大きな影響力を持っていたと考えられています。中世は大きな領主が存在せず鎌倉時代常陸国で大きな勢力をもった大掾氏の一族である麻生氏や島崎氏、小高氏、玉造氏などが割拠していました。
戦国時代になり天正4年(1576)、島崎氏の侵攻により麻生氏が攻め滅ぼされるなどありましたが、小田原の役で豊臣秀吉に臣従し領土を安堵された佐竹氏の南進を止められず、南方三十三館と呼ばれる小領主達は佐竹氏の居城である太田城に呼び出され尽く忙殺されました。
その佐竹氏も関が原の合戦で東西中立を保った為秋田へ移封となり、変わって新庄直頼が3万石で麻生藩を立藩しました。その後、後継問題で石高が1万石になりましたが新庄一族が江戸時代を通して藩主となり明治維新を迎え、麻生城下周辺が霞ヶ浦魚業の最大の寄港地だった事もあり政治、経済の中心として発展しました。
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