行方市: 海了寺

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概要・歴史・観光・見所
海了寺(行方市)概要: 大意山海了寺の創建は明暦3年(1657)、麻生藩3代藩主新庄直好が、新庄家の菩提寺として開いたのが始まりとされます。寺号の「海了寺」は直好の戒名である「海了寺殿津峰寿玄大居士」に因むもので一族だけでなく重臣なども境内に葬られました。往時は藩主の菩提寺として庇護された為寺運が隆盛し藩内では最大級の大伽藍が建立されていましたが、明治維新後に施行された版籍奉還と廃藩置県により麻生藩が廃藩になると庇護者を失い、元々藩主や藩士など限られた檀家しか擁していなかった為急速に衰微しました。その為、境内の縮小を余儀なくされ現在の本堂も明暦年間(1655〜1657)に衆寮(寺人の住居)として建てられた建物を利用したと推定されています。

又、海了寺本堂には、麻生藩歴代藩主の大位牌が安置されていますが、藩主の墓碑としては4代新庄直時にものが唯一で他の歴代藩主は東京都文京区本駒込の新庄家の菩提寺である吉祥寺に葬られ墓碑も建立されています。直時は初代藩主直頼の4男直房の次男として生まれ本来は別家でしたが3代藩主直好の嫡男が早世した為養子となり4代藩主に就任しています。その後、直好に次男(直矩)が生まれ為、元服を待って隠居、幕命により麻生藩2万7千石のうち2万石が直矩、7千石が直時に隠居領として分知され後見役を命じられています。すると2年後に直矩が急死、継嗣がいなかった事から改易を危惧した新庄一族が幕府に無断に藩主を擁立しようと画策しましたが、幕府に露呈する事になり麻生藩は一時廃藩になります。その後、隠居していた直時に幕府から遺領3千石が与えられ合計1万石で麻生藩が再興され直時が6代藩主として再任しています。延宝5年(1677)に死去、戒名「大意院殿機外了性大居士」。

海了寺:写真

海了寺
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