行方市: 一閑寺

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概要・歴史・観光・見所

一閑寺(行方市)概要: 玉松山一閑寺は茨城県行方市玉造甲に境内を構えている曹洞宗の寺院です。古くは天福寺と称し中世一帯を支配した玉造氏の菩提寺として発展した寺院です。玉造氏は平安時代末期に大掾氏の一族である行方宗幹の4男幹政が当地に配され、地名に因み玉造姓を名乗った事が始まりとされ、兄弟が小高氏、島崎氏、麻生氏を名乗った事から行方四頭として名を馳せました。

時代が下がると一族間で争うようになり、戦国時代には主家である大掾氏が佐竹氏に従ったものの、天正18年(1590)の小田原の役で参陣を怠った為本領が安堵されず、逆に常陸一国の支配を認められた佐竹氏に攻められ没落しました。

玉造氏などの33家は佐竹氏の誘いに応じて本城である太田城(茨城県常陸太田市)に赴きましたが、全員謀殺され、その間隙を突いて33家の居城が全て佐竹氏に攻め落とされています。玉造城も佐竹氏の家臣である大窪兵蔵久元より落城に至り、玉造氏が没落した事で一閑寺も庇護者を失い衰微したと思われます。

水郷観音十三霊場十番札所。茨城百八地蔵霊場第96番札所。玉造八景(永幸寺・高須公園・宝幢院・境稲荷神社・玉造城跡・一閑寺・浜漁港・関川橋)の「玉松山秋月」に選定されています。一閑寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行8間、正面1間向拝付き。山門は切妻、本瓦葺き、一間一戸、四脚門。山号:玉松山。宗派:曹洞宗。

一閑寺:写真

一閑寺:境内正面に設けられた山門(四脚門)
境内正面に設けられた山門(四脚門)
一閑寺:参道石畳みから見た本堂と石燈篭と石碑群
参道石畳みから見た本堂と石燈篭と石碑群
一閑寺:左斜め前方から見た本堂
左斜め前方から見た本堂
一閑寺:勝海舟書の「敬信講」碑
勝海舟書の「敬信講」碑
一閑寺:境内に時を告げる鐘楼と梵鐘
境内に時を告げる鐘楼と梵鐘


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