麻生陣屋(行方市)概要: 新庄直頼は慶長5年(1600)に関ヶ原の合戦時西軍に付いた為一時改易となりましたが、その後許され慶長9年(1604)に3万石で麻生藩を立藩しました。三代直好は後継がなく新たに直時を養子として迎えていましたが62歳で直矩が生まれ、さらに3年後、直好が死去した事で一旦直時が4代目となり直矩が成人になると藩主の座を譲りました。その際、直時に7千石を分地した為、麻生藩は2万3千石となりますが直矩が17歳の時急死し後継がいなかった事で廃藩となります。
その後、幕府が前藩主直時に3千石を加増した為、1万石となり麻生藩を再度立藩することを認め、以降、明治維新まで新庄氏が代々支配します。麻生陣屋は元和5年(1619)に平地に築かれた単郭の陣屋で東西約210m、南北約180m、敷地面積約2万7千u、陣屋面積は1千2百8十7u、敷地内には藩校である「精義館」が設けられ、主郭周辺には小規模の土塁を配し(土塁は無い可能性有り)、重臣、家臣の屋敷を取り囲むように堀を廻らしています。
安政3年(1856)に火災により焼失し、その後再建されましたが、明治維新後に陣屋としては廃されています。現在、主郭部分は小学校の敷地となり遺構はほとんど見受けられませんが、周辺の武家町は雰囲気を良く残していて家老である畑家住宅は麻生藩家老屋敷記念館として一般公開されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-行方市教育委員会
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