行方市: 三好家住宅

  茨城県:歴史・観光・見所行方市:観光・観光・見所>三好家住宅

概要・歴史・観光・見所
三好家住宅(行方市)概要: 案内板によると「 三好家は麻生藩主新庄氏の常陸入国に伴って、客分として特別の待遇を受けた。後に藩士となり、数代に渡り、藩の家老職を勤めた。特に維新期に藩の権大参事になった琢磨は、旧麻生藩の整理と士族授産、更に、郡・県政などに大きな功績を残している。現在の居宅は明治13年の建築ではあるが、式台玄関や間取りに昔の武家住宅の様式を伝えている。麻生藩の藩士は、陣屋を取り囲むようにして屋敷を構えていた。 麻生町 」とあります。三好貞良家文書によると祖である三好七郎右衛門は摂津飯盛城(大阪府大東市及び四條畷市)の城主で、織田信長に滅ぼされ、浪人になった後に新庄家に仕えたとあります。飯盛城の三好氏で織田信長に滅ぼされたとすると、織田信長包囲網を一角を占めた三好三人衆が著名ですが、その内の三好政康が右衛門大輔政勝を名乗っている事から、当三好家はその後裔かも知れません。一般的に三好政康は永禄11年(1568)に織田信長の侵攻により勝竜寺城(京都府長岡京市勝竜寺)と淀城(京都府京都市伏見区納所北城堀)が落城すると総崩れになり、当時の居城だった山城木津城(京都府木津川市)を退去し行方不明となっています。

三好家住宅:写真

三好家住宅
[ 付近地図: 茨城県行方市 ]・[ 行方市:歴史・観光・見所 ]


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「茨城県:歴史・観光・見所」は「茨城県の歴史」、「郷土資料辞典−茨城県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。