牛久市(歴史)概要: 牛久市の中世は小田氏の一族である岡見氏が支配しました。岡見氏は主家である小田氏と共に佐竹氏や小田原北条氏、土岐氏など対立し牛久市周辺は何度も戦場になりました。
戦国時代末期になると岡見氏は小田原北条氏に従属するようになり天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐と共に秀吉に臣従した佐竹氏や多賀谷氏によって牛久城は落城します。
岡見氏が牛久を去ると新たに牛久領の領主には源氏の名門新田義貞の子孫由良国繁が金山城(群馬県太田市)から入ります。由良氏は関ヶ原の合戦で徳川方に付くなど5千石から7千石へと領土を広げますが元和7年(1621)直系が途絶え養子を迎えた事で2千石の旗本となり牛久を去ります。
その後、山口氏が1万5千石(後1万石)で牛久陣屋を築き牛久藩を立藩、明治維新まで山口氏一族が支配します。又、城下町は水戸城下と江戸を結ぶ水戸街道の牛久宿が設置され本陣をはじめ15軒の旅籠があり賑いました。
|