牛久城

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概要・歴史・観光・見所
牛久城概要: 牛久城は戦国時代の16世紀初期、小田氏(小田城の城主)の一族とされる岡見氏が築城したと伝えられています。当地は小田原北条氏領と佐竹氏領の境界近くにあった事から双方から軍事的な拠点として重要視されました。城主である岡見氏は小田原北条氏に与した為、佐竹氏に与した多賀谷氏の攻撃対象となり度々攻防戦が繰り広げられています。元亀元年(1570)には支城である谷田部城が落城し、牛久城が直接晒されるようになると北条家からは井田氏、豊島氏、高城氏などの家臣が派遣されさらなる対立が深まりました。天正18年(1590)の小田原の役の際には豊臣秀吉の討伐軍の侵攻により開城に追い込まれ、開城後は新田義貞の子孫である由良国繁が5千4百石で入城し城郭の拡張、整備しました。慶長5年(1600)の関が原の戦いの際、国繁は東軍に与し江戸城の在番など功により7千石に加増され引き続き牛久領が安堵されますが元和7年(1621)貞繁の代に5千石に除封され牛久城は廃城になっています。寛永5年(1628)に山口重政が1万5千石で入封し牛久藩を立藩、寛文9年(1669)には山口弘隆によって旧牛久城外郭内の西端に牛久陣屋が設けられています。

牛久城は三方を牛久沼に囲まれ残りの一方を堀と土塁で防御を固めた要害堅固の平山城で東西800m、南北1kmは城下町を囲む総構えがあり、丘陵の頂上部に設けられた本丸を中心に二の丸、三の丸、腰郭があり、それぞれの郭には土塁と深い空堀によって囲われていました。現在でも牛久城の城跡には郭の形状や空掘、土塁などの遺構が散在し歴史的にも貴重な事から昭和58年(1983)に牛久市指定史跡に指定されています。

牛久城:写真

牛久城
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