稲敷市(歴史)概要: 中世、稲敷市は土岐氏が支配していました。土岐氏は上杉家の家臣で室町時代結城合戦で功をあげ江戸崎周辺の領主になりました。土岐氏は江戸崎城を築くと領内整備を行い、茨城県南部に勢力を拡大しましたが南進してくる佐竹氏と対立を深めます。戦国時代末期、土岐氏は小田原北条氏に従属し佐竹氏、多賀谷氏と対しましたが、天正18年(1590)小田原の役の際、豊臣秀吉軍により江戸崎城は落城、土岐氏は没落します。佐竹氏は早くから秀吉に対し臣従してきた事もあり、これを機に常陸国を統一し稲敷市周辺も佐竹領となり、稲敷市には佐竹義宣の実弟芦名重盛が4万5千石で新たに領主に着任します。
芦名氏は会津若松城(福島県会津若松市)を居城にして南奥羽一帯90万石を有していましたが伊達政宗に敗れ佐竹領に逃れました。関ヶ原の戦いでは佐竹氏に従い東西中立を保った為改易となり秋田に随行し角館(秋田県仙北市角館町)領主になっています。
江戸時代に入ると稲敷市は幕領となり代官所支配となります。中心部である江戸崎は霞ヶ浦舟運の集積場として多くの物資が集められ経済的にも発展しました。
稲敷市・歴史・観光・見所の動画の再生リスト
|