高田神社(稲敷市)概要: 高田神社は茨城県稲敷市高田に鎮座している神社です。高田神社の創建は平安時代の承平年間(931〜937年)に平将門の乱の平定を祈願するため朱雀天皇(第61代天皇・在位:930〜946年)の勅命により熊野大社(和歌山県)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
以来、広く信仰を集め、寛治年間(1087〜1092年)には天皇の勅願所に制定され東条庄総鎮守として崇敬され、源頼朝も文治年間(1185〜1189年)に奥州合戦の戦勝祈願に参拝しており社領として東条庄500町歩を寄進しています。
南北朝動乱時の延元3年(1338)、北畠親房(北朝)が神宮寺城に籠城した際には、高田神社の社僧(神官)である千田内蔵助義信が南朝に与し敵対した為、戦乱終結後社領を取り上げられ一時衰退します。2代将軍足利義詮(在位:1358〜1367年)の代に社領10町3反が安堵され一応の再興が図られています。
慶長5年(1600)、徳川家康が上杉討伐の為、小山(栃木県小山市)まで進軍した際には高田神社の社僧達も従軍した事から、慶長7年(1602)に家康から社領250余石が安堵されました。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治4年(1871)に郷社に列しています。
近年まで享保18年(1733)に造営された社殿が残っていましたが平成2年(1990)の火事により焼失し平成9年(1997)に再建されています(社宝だった天井画336枚・三十六歌仙絵画・緑樹園元有などの狂歌額なども同時に焼失)。
境内一帯は樹齢350年以上の巨木や希少の動植物などが存在し貴重な事から名称「高田権現自然環境保全地域」として昭和53年(1978)に茨木県の自然環境保全地域に指定されています。祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、熊野神王櫛御気野命、速玉之男命、事解之男命、撞榊厳霊天疎向媛命、菊理比売命、菅原道真。
稲敷市:神社・仏閣・再生リスト
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒等)-高田神社
・ 現地案内板-江戸崎町教育委員会
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