和田岬・浮島(稲敷市)概要: 和田岬の突端は古くは"信太の浮島"と呼ばれた独立した島で風光明媚な景勝地として有名な場所でした。古くから知られ奈良時代に編纂された常陸国風土記(和銅6年:713年から養老5年:721年に編纂された現在は原本が存在せず、写本のみとなっています。又、当時の地勢的な記述以外は、古老などの口伝を纏めたものとされます。)にも地名と共に当時の様子が記述されており、製塩業と稲作(78町余)を生業として15戸の人家があったそうです。歌人紀貫之はこの地を見て「 桜川 瀬々の白波 しげければ 霞うながす 信太の浮島 」と詠っています。又、浮島には景行天皇(第12代天皇・在位:71〜130年)が1ヵ月滞在した"帳宮"跡や保元の乱(1156)で崇徳上皇(第75代天皇・在位:1123〜1142年)に与し敗れた藤原教長卿(丹波国・越前国・阿波国の国司、正三位・参議、保元の乱鎮圧後常陸国信太の浮島に流され、6年後の応保2年:1162年に都に召還され、高野山に入った。)の配所跡などがあります。
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