雀神社(古河市)概要: 雀神社は茨城県古河市宮前町に鎮座している神社です。雀神社の創建は不詳ですが伝承によると貞観年間(859〜887年)に出雲大社(島根県出雲市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。又、一説には崇神天皇の御代(紀元前97年〜紀元前30年)、豊城入彦命(崇神天皇の第1皇子)が東夷東征の際、当地を訪れ東国鎮護の為、勧請したのが始まりとされます。以来、雀神社は古河地域の総鎮守として広く信仰され、康生元年(1455)には第5代鎌倉公方足利成氏が古河に本拠を移し初代古河公方になると5代に渡り足利家の崇敬社となり歴代当主が篤く庇護しました。特に弘治2年(1556)には足利晴氏夫人が鰐口を寄進し、天正19年(1591)には氏姫(足利義氏の娘)が社領の寄進を行い、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際は、徳川家康が小山から西方に引き返す際、雀神社を訪れ戦勝祈願を行っています。
江戸時代になると雀神社は幕府、歴代古河藩(藩庁:古河城)の藩主から庇護され社領15石が安堵されされ、社殿の造営や改修は藩費で賄われ社運も隆盛しました。雀神社は古くから神仏習合し往時は境内に観音堂が造営され本地仏として十一面観音座像が安置されていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され十一面観音座像も旧神宮寺に移され明治5年(1872)には郷社に列しています。
現在の雀神社社殿は慶長10年(1605)に当時の古河藩主松平康長が造営したもので本殿は一間社流造、銅板葺。拝殿は木造平屋建て、桁行5間、梁間3間、入母屋、瓦葺、平入、外壁は真壁造板張り、大きく張り出した唐破風の向拝が付いている建物で江戸時代初期の社殿建築の遺構として貴重なことから昭和58年(1983)に古河市指定有形文化財に指定されています。社殿造営の際奉納された磐戸神楽や神楽の面、ささら獅子舞なども民俗的価値が高いとされ今日まで受け継がれ昭和43年(1968)に悪戸新田獅子舞の獅子頭古河市指定有形民俗文化財、悪戸新田獅子舞は古河市指定無形民俗文化財に指定されています。
又、御神木の大欅は古河市内最高の欅とされ樹高25m、根本周囲18m、目道り周囲8.8mの巨木で2本の欅が重なりあっている事から「夫婦欅」の別称があり昭和49年(1974)に古河市指定天然記念物に指定されています。祭神は大己貴命(大国主神)、少彦名命(医療の神)、事代主命(恵比寿神)。社号である雀神社の名称の由来は、昔この辺りの地名である"雀が原"又は"鎮宮"がなまり"雀宮"になったとも言われています。
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