石岡市: 府中城

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概要・歴史・観光・見所
府中城(石岡市)概要: 府中城は茨城県石岡市総社一丁目に位置する城郭です。府中城府中城は、南北朝時代の正平年間(1346〜1370年)当時の周辺領主だった大掾詮国が築いたとされています。大掾氏の居城は水戸城でしたが江戸氏によって攻略され応永33年(1426)以降に府中城が居城となりました。天正18年(1590)豊臣秀吉に臣下の礼を取った佐竹義宣が常陸統一に軍を進め府中城は落城、大掾氏も滅亡します。府中城には佐竹義尚が入城しますが慶長5年(1600)の関が原の合戦で佐竹氏は東西中立を保った為、久保田(秋田県秋田市)へ移封となり、変わって六郷(秋田県美郷町六郷)から六郷政乗が1万石で入り府中藩を立藩します。

元和8年(1662)に最上騒動が起こり山形藩の藩主最上家が改易、山形城(山形県山形市)受け取りを行った宇都宮藩15万5千石の藩主本多正純が宇都宮城釣天井事件により宇都宮藩から本荘藩5万石に減封となったものの、その罪を認めず態度を硬化した為改易となり、最上領の一部である本荘(秋田県由利本荘市)に六郷氏が2万石で入ります。

府中藩には改易となっていた皆川広照が1万石で復権、寛永2年(1625)に広照の隠居に伴い皆川隆庸が1万5千石で家督を継ぎ最終的には1万8千石となっています。元禄13年(1700)には徳川家康11男で水戸徳川家初代藩主徳川頼房の5男松平頼隆が2万石で入り藩主となります。松平氏は水戸藩(藩庁:水戸城)徳川家の分家の立場だった事もあり城郭ではなく陣屋を構えるに留まり、定府大名だった事もあり基本的には江戸詰めで参勤交代などもありませんでした。

府中松平家は10代まで続き明治維新を迎えています。府中城は比高10〜15m程度の丘の上に築かれた平山城で城域は東西約500m、南北400m、頂上部に設けられた本丸、二ノ丸、三ノ丸と連郭式で配され、その他の要所には箱の内出丸、磯部出丸、宮部出丸が設けられていました。背後の恋瀬川(旧鯉川)が天然の外堀で3方が崖地となる要害の地で、それぞれの郭には深い空堀と高い土塁が設けられ多賀城、怡土城と共に日本三名古城に数えられていました。現在でも土塁の一部が残され昭和53年(1978)に石岡市指定史跡に指定されています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-石岡市教育委員会・石岡市文化財保護審議会

府中城:写真

府中城:土塁の遺構
土塁の遺構と樹木の根
府中城:土塁が切り取られて造られた道路
土塁が切り取られて造られた道路
府中城:土塁の遺構の上の樹木
土塁の上の樹木
府中城:土塁の遺構と石岡市民会館
土塁と石岡市民会館
府中城:土塁の遺構と力強を感じる樹木
土塁の遺構と力強を感じる樹木


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