常陸国分寺

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概要・歴史・観光・見所
常陸国分寺(石岡市)概要: 常陸国分寺は奈良時代の天平13年(741)3月に国内が乱れた事を案じた聖武天皇が国家鎮護・万民息災を祈念する為、勅令で全国66カ国の各国毎に建立された国分寺のうちの1つとされ、常陸府中鏡によると天平15年(743)に境内の工事が起工し天平勝宝4年(752)に竣工、同年に百済王敬福が常陸守が就任したのが始まりとされます。平安時代の私撰歴史書である「扶桑略記」によると、仁和4年(888)11月23日に常陸国書生の飛鳥貞成が国分寺で供養を盛大に行なったとされ、平安・鎌倉時代の役所の機関の1つである税所を歴任した税所氏に伝わった「税所文書」によると奈良時代の天平神護2年(766)と平安時代初期の延暦24年(805)の太政官符(日本の律令制のもとで太政官が管轄下の諸官庁・諸国衙へ発令した正式な公文書)に従い三宝(仏・法・僧)布施300束と講読師并謂僧布施5624束が奏上されている事が記載されています。

当時は金光明四天王護国之寺と称し東西約270m、南北約240mの境内に中門・金堂(南北26m、東西33m以上)・講堂(南北22m、東西30m以上)・経楼・回廊・七重搭など七堂伽藍が建ち並び、住僧20名、最勝王経10部、水田10町の寺領を有する常陸国の中心寺院として大きな影響力がありました。延喜式主税帳所載国分寺料によると定住僧30名、封戸50戸、寺域60町歩、寺領6万束は全国的にも上位にあたり常陸国が朝廷から重要視されていた事が窺えます。常陸国分寺は天慶2年(939)平将門の乱の兵火により焼失した事や朝廷の権威が失墜した為に権力を背景とした常陸国分寺は衰退が余儀なくされたと思われます。その後の由緒は不明な点が多いですが、再興され中世は府中城を居城とした大掾氏が庇護し寺運も隆盛、しかし、天正年間(1573〜1593年)に大掾氏と佐竹氏の争いによって再び焼失し多くの堂宇、記録、寺宝なども失い荒廃しました。

【 千手院の由緒 】-一方、千手院は平安時代初期の弘仁9年(818)に名僧として知られた行基菩薩の高弟とされる行円上人が開山したとも云われています。行円上人は比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)の横川で厳しい修行を行い、千手陀羅尼を誦呪し聖になった事や、射止めた牡鹿の皮に千手陀羅尼を書してまとったなどの伝承が残されている事から院号の由来になったと思われます。しかし、鎌倉時代後期頃になると荒廃し記録などに残される事も無くなっています。ところが、室町時代末期の天正元年(1573)に東寺宝菩提院(京都市南区九条東寺町)の禅我大僧正の弟子である朝賀上人によって再興され、江戸時代には府中藩領内に末寺2ヶ寺、門徒21ヶ寺、又門徒2ヶ寺を擁し朱印地10石が安堵される大寺院として発展します。常陸国分寺も千手院の末寺として再興を果たし、千手院の住職が常陸国分寺の住職を兼任したそうです。

【 江戸時代以降の常陸国分寺 】-慶長年間(1596〜1615年)に常陸国分寺は再興を果たし菩提山千手院来高寺(弘仁9年:818年、行其大僧正の弟子行円上人が創建)の住職が国分寺の住職を兼任し(形式的には千手院来高寺の末寺)ました。幕府からも庇護を受け徳川家康から寺領30石を安堵され元禄年間(1688〜1704年)には本堂などが再建され再び隆盛しています。しかし、明治時代に入り神仏分離令や修験道廃止令、吹き荒れる廃仏毀釈運動により殆どの末寺が廃寺に追い込まれ、千手院も次第に衰微します。明治41年(1908)に火災により多くの堂宇が焼失し被害を受けましたが、大正8年(1919)に千手院が廃寺となり常陸国分寺に合併し現在の国分寺が改めて創建されています。

【 常陸国分寺の遺構 】-境内には山中薬師(筑波四面薬師の1つ)の本堂(木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、銅瓦棒葺き、平入、桁行3間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り)を移築するなど境内が随時整備され現在に至っています。常陸国分寺の境内には金堂の礎石13基、講堂の礎石20数基、中門の廻廊の礎石数基、七重塔の心礎などが残り昭和27年(1952)に国指定特別史跡に指定され、発掘された常陸国分僧寺跡出土古瓦は石岡市指定文化財(考古資料)に指定されています。現在の山門は寛保3年(1743)に旧千手院の山門として建てられた建物で、向唐門、茅葺、江戸時代中期の寺院山門建築の遺構として貴重な事から昭和53年(1978)に石岡市指定文化財に指定されています。常陸国分寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。又、昭和8年(1933)に建立された都々一坊扇歌堂(六角堂)は貴重な事から石岡市指定文化財に指定されています。宗派:真言宗智山派。本尊:薬師如来。

常陸国分寺:本堂・参道・写真

常陸国分寺の茅葺の渋い山門
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常陸国分寺山門から真っ直ぐ延びる石畳の参道 常陸国分寺本堂正面と両サイドの植栽 常陸国分寺六角堂(都々一坊扇歌堂)は青々とした植栽に囲まれています 常陸国分寺薬師堂は小規模ながら結構カッコいい建物です


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