府中藩概要: 慶長7年(1602)、現在の出羽国六郷(秋田県美郷町)を領していた六郷政乗が1万石で入封して府中藩を立藩しました。元和8年(1622)に最上騒動が起こり最上家が改易となり、最上領の一部である本荘(秋田県由利本荘市)に六郷氏が2万石で入ります。府中藩には皆川広照が信濃飯山より1万石で入り、隆庸の代で加増され1万8千石、成郷の代で実弟に5千石を分与した事で1万3千石になっています。成郷には嫡子がおらず養子も組まなかった事で正保2年(1645)に死去すると府中藩は一時廃藩となります。元禄13年(1700)には徳川家康11男で水戸藩主徳川頼房の5男松平頼隆が2万石で入り改めて府中藩を立藩。松平氏は城持大名の格式がなかった事で城郭ではなく陣屋を構えるに留まり、定府大名だったの基本的には江戸詰めで参勤交代なども基本的には行われませんでした。又、水戸藩の支藩的立場だった事から要職には水戸藩から派遣された家臣が担当し藩主自らが藩政を動かすことは少なかったようです。府中松平家は10代まで続き明治維新を迎えています。(明治維新後は石岡藩と改称しています。)
スポンサーリンク
府中藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 六郷政乗 | 1602〜1623 | 1万石 | |
初代 | 皆川広照 | 1623〜1625 | 1万石 | |
2代 | 皆川隆庸 | 1625〜1645 | 1.8万石 | |
3代 | 皆川成郷 | 1645 | 1.33万石 | |
初代 | 松平頼隆 | 1645〜1705 | 2万石 | |
2代 | 松平頼如 | 1705〜1707 | 2万石 | |
3代 | 松平頼明 | 1707〜1733 | 2万石 | |
4代 | 松平頼永 | 1733〜1735 | 2万石 | |
5代 | 松平頼幸 | 1735〜1742 | 2万石 | |
6代 | 松平頼済 | 1742〜1784 | 2万石 | |
7代 | 松平頼前 | 1784〜1795 | 2万石 | |
8代 | 松平頼説 | 1795〜1833 | 2万石 | |
9代 | 松平頼縄 | 1833〜1868 | 2万石 | |
10代 | 松平頼策 | 1868〜1871 | 2万石 | |
|
|