水戸藩概要: 戦国時代末期、水戸には常陸国統一を果たし54万5800石の大大名(全国8位)となったた佐竹氏が居城を構えていましが、佐竹氏は関ヶ原の戦いで東西中立を保った為、久保田21万石に移封となります。水戸の地は江戸に近く東国の外様大名を抑える要所だった為、一族である徳川家康7男武田信吉を15万石で入封させましたが翌年急死、慶長8年(1603)からは10男頼宣を20万石(後25万石)で奉じます。頼宣は駿河50万石(後紀州徳川家55万石)に移封することになり慶長14年(1609)から11男頼房が25万石(後に35万石)で入封し徳川御三家の中の水戸徳川家(水戸藩)が確立しました。水戸徳川家は定府大名として江戸詰めだった為、基本的には参勤交代は行われず将軍家を補佐する立場にあり11代昭武まで世襲されました。頼房、光圀2代に渡り現在の水戸市の祖形となるべく城下町を大きく改修し那珂川や千波湖の干拓や領内に通じる街道の整備を行いました。特に光圀の"大日本史"の編集は文化的な影響力を持ち、後に全国最高峰とされた藩校弘道館の開校や多くの学者の輩出に繋がります。藩政改革も積極的で幕末には独特の政治思想から"天狗党の乱"桜田門外の変"などの事件に大きく関わっていきます。
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水戸藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 徳川頼房 | 1609〜1661 | 35万石 | |
2代 | 徳川光圀 | 1661〜1690 | 35万石 | |
3代 | 徳川綱條 | 1690〜1718 | 35万石 | |
4代 | 徳川宗堯 | 1718〜1730 | 35万石 | |
5代 | 徳川宗翰 | 1730〜1766 | 35万石 | |
6代 | 徳川治保 | 1766〜1805 | 35万石 | |
7代 | 徳川治紀 | 1805〜1816 | 35万石 | |
8代 | 徳川斉脩 | 1816〜1829 | 35万石 | |
9代 | 徳川斉昭 | 1829〜1844 | 35万石 | |
10代 | 徳川慶篤 | 1844〜1868 | 35万石 | |
11代 | 徳川昭武 | 1868〜1869 | 35万石 | |
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