水戸八幡宮

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概要・歴史・観光・見所
水戸八幡宮概要: 水戸八幡宮の創建は文禄元年(1592)、常陸国を略手中にし水戸城に入った佐竹義宣により勧請されたのが始まりです。佐竹家は源氏の後裔とされる名族で(河内源氏の2代目棟梁源頼義の3男新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流)、氏神として八幡神を篤く崇敬し、以前の本城だった太田城(茨城県常陸太田市)の城下にも馬場八幡宮が境内を構えていました。天正18年(1590)の小田原の役の際、佐竹義宣は豊臣秀吉に対し臣従し功を挙げた事から常陸1国が安堵され、天正19年(1591)には常陸の太守としての大義から水戸城の江戸氏を滅ぼし自らの本城とし、文禄元年(1592)に八幡小路(現在の北見町)に馬場八幡宮の分霊を勧請し水府の総鎮守として壮大な社殿が造営されました。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで佐竹氏は東西曖昧な態度だった為、慶長7年(1602)に久保田藩(秋田県秋田市)21万石で移封となりましたが、慶長14年(1608)に徳川頼房が入封するとその後は水戸徳川家が引き続き篤く庇護しました(佐竹氏は久保田藩でも八幡神社を創建し篤く崇敬しています)。

徳川家は表上、源氏の一派である新田家の後裔を自称した為、八幡神は氏神でもあり寛文5年(1665)には社領300石が安堵されています(一方、水戸藩の寺社改革により多くの八幡社が廃社に追い込まれています)。元禄7年(1694)に那珂西村(現在の東茨城郡城里町那珂西)に一時遷座しましたが、住民達の懇願により旧地に近い現在地に宝永4年(1707)に遷座しています。古くから神仏習合し、江戸時代には泉山宝幢院宝厳寺(佐竹氏時代は光明院)が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭の神仏分離令により仏教色が一掃され、明治6年(1873)に郷社、明治12年(1879)に県社に列しています。

現在の水戸八幡宮本殿は慶長3年(1598)の佐竹氏時代に造営されたもので、三間社入母屋造、こけら葺き、桁行3間、梁間2間、正面3間向拝付き、内部には内陣と外陣が分かれているなど神仏習合の名残があります。水戸八幡宮本殿は安土桃山時代の大型本殿建築の遺構として大変貴重な事から昭和29年(1954)に国指定重要文化財に指定されています。拝殿は安永4年(1775)に造営されたもので、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、桁行約9m、梁間約5.5m、正面1間軒唐破風向拝付、江戸時代中期の社殿建築の遺構として貴重な事から水戸市指定文化財に指定されています。随神門(神社山門)は宝暦7年(1757)に造営されたもので、切妻、銅板葺、一間一戸、桁行3.75m、梁間3.26m、左右には切妻、銅板葺き、桁行1間、梁間1間の随神社(左大臣像、右大臣像安置)付、江戸時代中期の社殿建築の遺構として貴重な事から平成9年(1997)に水戸市指定文化財に指定されています。祭神:誉田別尊、息長足日売尊、姫大神。

水戸八幡宮の文化財
・ 水戸八幡宮本殿-慶長3年-三間社入母屋造,こけら葺き-国指定重要文化財
・ 白旗山八幡宮のオハツキイチョウ-推定樹齢700年、樹高約35m-国天然記念物
・ 黒韋肩浅葱糸威筋兜-室町中期頃-佐竹義宣奉納-茨城県指定有形文化財
・ 水戸八幡宮拝殿及び幣殿-安永4年-入母屋、銅板葺き-水戸市指定有形文化財
・ 随神門-宝暦7年-切妻、銅板葺き、一間一戸-水戸市指定有形文化財
・ 黒漆金銅装八角神輿(附:瓔珞・風鐸・神鏡等装飾金具・案・銘札)-市指定
・ 狛犬-安土桃山時代-一木造り-水戸市指定有形文化財
・ 堤太鼓-天保11年−徳川斉昭奉納-水戸市指定有形文化財

水戸八幡宮:写真

水戸八幡宮
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