薬王院(水戸市)概要: 吉田山神宮寺薬王院は茨城県水戸市元吉田町に境内を構えている寺院です。薬王院の創建は大同2年(807)、桓武天皇の勅願により伝教大師最澄(平安時代の高僧、天台宗開祖)により開かれたのが始まりと伝えられています。
歴代領主に庇護され寺運も隆盛し中世は歴代の領主である大掾氏から帰依され篤く庇護されました。当時の住職である成珍は大掾氏の養子である石河忠成の孫とされ大掾氏や鎌倉幕府とも強い繋がりを持ちました。応永24年(1417)、上杉禅秀の乱で敗れた禅秀に与した大掾氏が水戸城を去ると新たに城主となった江戸氏から庇護され大永7年(1527)に本堂が焼失しすると当時の当主江戸通泰によって再建されています。
江戸時代に入ると歴代水戸藩主の祈願所として庇護され寛永5年(1628)には初代藩主徳川頼房公の二男、松平亀千代丸、万治元年(1658)には2代藩主徳川光圀の正室泰姫(近衛尋子・法光院)の菩提が葬られました(両者共に後年太田瑞龍山に改葬)。
特に光圀が篤く帰依し貞亨3年(1686)には堂宇の大改修が行われ、元禄2年(1689)には天台宗の青蓮院直末寺に復させ、元禄10年(1697)には天台宗檀林所、元禄12年(1699)には天台宗門関東八檀林(中院、大光普照寺、龍蔵寺、月山寺、薬王院、不動院、逢善寺、長福寿寺)となり寺運が隆盛しました。
古くは神仏習合し近くに鎮座する常陸国三之宮である吉田神社の神宮寺として祭祀を司っていましたが寺運が隆盛すると吉田神社を圧倒する立場となりました。
現在の薬王院本堂は享禄2年(1529)に再建された建物で桁行7間、梁間5間、入母屋、銅板葺、建築年代が明確で当時の当地方の建築様式を伝える建物として国指定重要文化財に指定されています。
薬王院仁王門は貞亨年間(1684〜1688年)に建てられたもので桁行き6.8m、梁間6.4m、寄棟、茅葺の八脚門で両脇には金剛力士立像(阿形・吽形:水戸市指定文化財)が安置されています。
薬王院山門は江戸時代中期の寺院山門建築の遺構として貴重な事から昭和34年(1959)に茨城県指定有形文化財に指定されています。その他にも木造薬師如来坐像(茨城県指定文化財)や木造十二神将立像(茨城県指定文化財)などの寺宝も多く当時の繁栄が窺えます。山号:吉田山。寺号:神宮寺。院号:薬王院。宗派:天台宗。本尊:木造薬師如来坐像。
薬王院の文化財
・ 薬王院本堂−享禄2年−入母屋、銅板葺、7×5間−国指定重要文化財
・ 木造薬師如来坐像-平安-杉材、一木造、像高86.6p-茨城県指定文化財
・ 仁王門-貞亨年間-寄棟,茅葺,三間一戸,八脚単層門-茨城県指定重要文化財
・ 木造十二神将立像-南北朝-桧材,寄木造,像高81.5〜74p-茨城県指定文化財
・ 五輪塔-江戸時代-徳川頼房2男松平亀千代丸供養塔-水戸市指定有形文化財
・ 木造金剛力士立像(阿形)-室町前期-杉材,一木造,像高210.7p-水戸市文化財
・ 木造金剛力士立像(吽形)-室町前期-杉材,一木造,像高210.7p-水戸市文化財
・ 四脚門-江戸時代中期-切妻、本瓦葺、四脚門-水戸市指定有形文化財
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