志筑藩概要: 慶長7年(1602)本堂氏が8983石から8500石(栄親の代に分知した以降は8千石)に減封され出羽国本堂(秋田県美郷町本堂)から入封して志筑領主となります。正保2年(1645)陣屋を構え家臣を配置しましたが1万石に満たなかった為大名ではなく交代寄合衆という格式でした。藩としても認めらていませんでしたが、戊辰戦争の際新政府側で行動した功で2010石加増され1万110石となり大名として諸侯に列し改めて志筑藩を立藩しました。領内には水戸街道が通り稲吉宿には本陣を始め17軒もの旅籠が軒を連ね活気を呈しましたが周辺住民の負担も大きく藩財政も疲弊し一揆が度々起こっています。安永7年(1778)には"助六一揆"が起こり領内25カ村の農民が集結した大一揆となり本堂氏の江戸屋敷へ強訴、首謀者は尽く斬首され水戸街道にさらし首になりました。文化9年(1812)には志筑藩家老横手義忠が義倉の制度を施行し農民救済に勤めましたが幕末にかけて藩財政は困窮しました。
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志筑藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 本堂茂親 | 1601〜1645 | 0.85万石 | |
2代 | 本堂栄親 | | 0.8万石 | |
3代 | 本堂玄親 | | 0.8万石 | |
4代 | 本堂伊親 | | 0.8万石 | |
5代 | 本堂苗親 | | 0.8万石 | |
6代 | 本堂豊親 | | 0.8万石 | |
7代 | 本堂親房 | | 0.8万石 | |
8代 | 本堂親庸 | | 0.8万石 | |
9代 | 本堂親道 | | 0.8万石 | |
10代 | 本堂親久 | 1852〜1871 | 1.01万石 | 立藩 |
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