西念寺(笠間市)概要: 稲田山西念寺は茨城県笠間市稲田に境内を構えている浄土真宗の寺院です。西念寺の創建は鎌倉時代初期の建保2年(1214)越後配流の罪が解かれた親鸞聖人が当時の領主稲田九郎頼重に招かれこの地に草庵を設けたのが始まりと伝えられています。
親鸞聖人は承元の法難により建永2年(1207)に越後国(新潟県)に流され、許された後も越後で布教活動をしていましたが、常陸国稲田の領主であった稲田頼重の招きに応じて当地に草庵を設けたとされます。
親鸞は20年の間ここを拠点として関東から東北地方にかけて布教に従事し、元仁元年(1224)には教行信証(浄土真宗の根本聖典)を完成させました。親鸞が京都に戻った後は弟子である善性が跡を継ぎ何度か移転を繰り返し浄興寺(新潟県上越市)として越後に落ち着きます。
当地は引続き親鸞上人の旧蹟の地として神聖視され稲田九郎頼重が草庵を守り初世となり嘉元2年(1304)、第四世宗慶の代に寺院として認められ西念寺の寺号を賜っています。その後は歴代領主からの帰依もあり寺運が隆盛し天正年間(1573〜1593年)には笠間城の城主笠間時廣により太子堂の造営と寺領15石の寄進が行われ、水戸藩(茨城県水戸市:本城−水戸城)2代藩主徳川光圀(水戸黄門)は境内にある「神原の井」の故事を聴き御影石の井筒を寄進しました。
西念寺境内には御葉つき銀杏(樹高35m、幹周約7.5m、茨城県指定天然記念物)や神原の井戸、御杖杉、頂骨堂、太子堂など親鸞縁の史跡が点在しています。太子堂は笠間時廣が建立した当時の建物で、入母屋、銅板葺、正面1間向拝、花頭窓、丸窓、向拝細部には精緻な彫刻が施されています。
山門は入母屋、茅葺、一間一戸、楼門、上層部の外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、高欄、花頭窓付。本尊の阿弥陀如来像は元々宇都宮家が所有し、居城である宇都宮城(栃木県宇都宮市)に祀られていましたが慶長2年(1597)突如として改易となり、その際、城内から持ち出され西念寺に奉納されたと伝えられています。山号:稲田山。宗派:浄土真宗別格本山。本尊:阿弥陀如来。
西念寺の文化財
・ 唐本一切経-建長7年、笠間時朝が鹿島神社に奉納-茨城県指定文化財
・ 稲田禅房のお葉つきイチョウ-樹高約35m、幹囲約7.5m-茨城県天然記念物
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