大渕天神社(笠間市)概要: 大渕天神社は茨城県笠間市大渕に鎮座している神社です。大渕天神社の創建は鎌倉時代後期の承久年間(1219〜1221年)笠間家の祖となった塩谷(笠間)時朝により勧請されたのが始まりと伝えられています。
時朝が佐白山に笠間城を築城した際、境内は城から見ると鬼門(北東)の方角にあたる為、鬼門封じとして篤く信仰されました。天正18年(1590)の小田原の役後、形式上は主家にあたる宇都宮国綱の陰謀と思われる行動により笠間氏は没落し、庇護者を失った大渕天神社も衰微し、江戸時代初期には神職も無く荒廃していたようです。
正保2年(1645)、地元の滝野伊兵衛一永により再興、歴代笠間藩主も祈願所として庇護し、天明4年(1784)には3代藩主牧野貞喜が「天満宮」、その嫡男牧野貞為が「尊栄」の扁額を奉納しています。「天満宮」は縦80cm、横178cm、厚さ5cm、「尊栄」は縦45cm、横82.5cm、厚さ5cm、藩主奉納の社号額として貴重な事から平成26年(2014)に笠間市指定文化財(歴史資料)に指定されています。
明治時代に入ると村内の神社が式内社大井神社(太郎明神)に合祀され、大渕天神社も明治6年(1873)に合祀されましたが、氏子が独立を強く望んだ為、明治7年(1874)に旧地である現在地に遷座し明治27年(1894)に村社に列しています。
現在の大渕天神社本殿は明治15年(1882)に再建されたもので一間流造社(桁行約2.1m、梁間2.7m)、銅板葺き、向拝や外壁、脇障子などに精緻な彫刻が施され、棟梁は吉田徳政、細部の彫刻は名工後藤縫殿之助が手掛けています。
拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付き、本殿とは異なり彫刻など派手な意匠が見られない質素な造りとなっています。大渕天神社本殿は明治時代に建てられた本殿建築として貴重で意匠にも優れている事から平成4年(1992)に笠間市指定有形文化財に指定されています。
又、御神木のツクバネガシは創建時に植えられたと伝承を持つ大木で推定樹齢700年、樹高25m、幹周4.4m、昭和61年(1991)に笠間市指定天然記念物に指定されています。祭神:菅原道真。
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