笠間市: 龍穏院

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概要・歴史・観光・見所

龍穏院(笠間市)概要: 恵日山龍穏院の前身は秋田氏の旧領である能代市檜山にある日照山国清寺であるされ、秋田氏が常陸宍戸に移封されると安東(秋田)忠季の菩提寺である国清寺と父政季(法名:長香寺大岩宗広)の菩提寺である長亨寺を合わせた龍穏院を開基します。

国清寺の創建は永正元年(1504)、安東忠季によって開かれたのが始まりとされ忠季の法名(国清寺天讃祐公)が寺号の由来となっています。

秋田氏は戦国時代初期に檜山安東氏、湊安東氏に別れ抗争が繰り返されましたが檜山安東氏である安東愛季の代に統一され出羽国の有力大名として成長し秋田氏を名乗りました。秋田氏は関ヶ原の戦いで東軍として行動していたものの、長年敵対していた最上家の戯言により、事実上減封となり、旧佐竹領の一部に配され宍戸藩を立藩、菩提寺だった国清寺も随行し宍戸城の城下に境内を構えたと思われます。

正保2年(1645)2代藩主秋田俊季が三春藩(福島県三春町)に移封になると住職は俊季に随行し三春で新たに龍穏院を開山、高乾院と並び藩主の菩提寺として庇護されます。当寺は宍戸に留まり明治維新まで続き、明治6年(1873)には境内を開放して修斉学校を開校しています。

本堂は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。茨城百八地蔵尊霊場第27番札所(札所本尊:トゲヌキ地蔵尊)。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼佛。

笠間市:神社・仏閣・再生リスト

龍穏院:写真

龍穏院:参道石段から見上げた石柱山門
参道石段から見上げた石柱山門
龍穏院:苔生した参道と石畳みと両脇の植栽
苔生した参道と石畳みと両脇の植栽
龍穏院:境内から見た本堂正面と石燈篭
境内から見た本堂正面と石燈篭
龍穏院:右斜め前方から見た本堂
右斜め前方から見た本堂
龍穏院:境内に設けられた地蔵堂
境内に設けられた地蔵堂


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