水谷勝氏

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水谷勝氏(定林寺)
【 概 要 】−水谷勝氏の誕生年は不詳、水谷時氏の子供とされます。永享9年(1437)に発生した永享の乱の際、水谷伊勢守時氏は主家である結城氏と共に関東公方足利持氏に与した為、幕府軍に敗れ、永享12年(1440)に持氏の遺児である春王丸が立て籠もった結城城で最後まで春王丸を守って討死しました。その後、関東管領上杉清方は水谷家の再興を図る為に時氏の遺児を探し、見つかったのが勝氏とされます。勝氏は重臣として結城家再興に尽力した功により、長沼十二郷、伊佐三十三郷が与えられ文明10年(1478)又は長享元年(1487)には居城となる下館城(茨城県筑西市)を築城しています。

文明10年(1478)には薬師堂を創建、文明13年(1481)に良室榮欣和尚(結城乗国寺5世住職)を招いて中興開山し勝氏の法名「定林寺殿玉叟了圓大居士」に因み寺号を「定林寺」に改称、同年には出羽三山(山形県鶴岡市)の羽黒大権現を勧請し上羽黒神社下羽黒神社を創建しています。

水谷勝氏の死没年は不詳で、享禄元年(1528)と寛正2年(1461)が有力とされますが、享禄元年(1528)とすれば勝氏は当時としてはかなり長寿だった事になります。寛正2年(1461)とすれば下館城をはじめ、定林寺、羽黒神社の創建年や創建者が異なる事になります。

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