【 概 要 】−逆井家は小山義政(藤原秀郷流小山氏の第11代当主・下野祇園城城主)の5男小山尾張守常宗が下総国猿島郡逆井領を与えられ地名から逆井氏を称したのが始まりとされます。常宗は宝徳2年(1450)に逆井城を築き、享徳5年(1456)には星智寺(現在は大宝八幡宮が所有)に梵鐘を寄進するなど一定以上の勢力があったとされ古河公方足利家に与し、対小田原北条家の最前線を担っていました。
その後、貫利・常繁(小山右衛門四郎常繁)と跡を継ぎ天文5年(1536)、小田原北条家の重臣である大道寺駿河守(盛昌と推定されています。)の侵攻により逆井城は落城、常繁は討死、正室とされる智御前(又は娘とされる智姫)は逆井家に伝わる釣鐘をかぶって城中の池に入水、自害したと伝えられています。菩提寺とされる常繁寺(坂東市)は常繁の弟とされる逆井利光が兄の菩提を弔う為に開いたとされる寺院で、境内には逆井一族のものとされる墓碑が建立されています。
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