牧野貞長

  茨城県:歴史・観光・見所(ホーム)>牧野貞長
牧野貞長(笠間城)
【 概 要 】−牧野貞長は享保18年(1733)に笠間藩初代藩主牧野貞通の子供として生まれました。寛延2年(1749)、貞通の死去に伴い笠間牧野家の家督を継ぎ、笠間藩8万石2代藩主に就任しています。牧野家は譜代大名で、貞長自身も聡明だった事から宝暦9年(1759)に奏者番、安永6年(1777)に大阪城代、天明元年(1781)に京都所司代、天明4年(1784)に老中に昇進しています。牧野貞長は幕政では多くの実績を挙げた一方、藩政は中々手が回らず「山外郷一揆」では後手に回り度々笠間城の城下まで押し込まれています。対応を幕府勘定奉行である神尾春央と協議した結果、一揆の要求は殆ど受け付けず、中心的な役割を持った清太夫、太郎左衛門、佐太郎が重罪となり24ヶ村の百姓代と重責を担った農民3人が手錠の刑に処しています。

牧野貞長は笠間城の城下に鎮座している笠間稲荷神社を篤く崇敬し、京都から勅許を得て正一位稲荷大明神の神位を賜っています。寛政8年(1796)死去、享年64歳。盛岸院(茨城県笠間市)に墓碑が建立されています。

※ 文章や画像のコピーは御遠慮ください。御理解の程よろしくお願いします。