【 概 要 】−土屋数直は慶長13年(1608)、久留里藩主土屋忠直と森川氏俊の娘との子供として生まれました。元和2年(1616)に2代将軍徳川秀忠に仕え、元和5年(1619)から徳川家光付きとなり元和8年(1622)から近習となり、寛永5年(1628)に上総国内に5百石が与えられています。その後も要職を歴任し寛文2年(1662)に若年寄に任ぜられると1万石の諸侯に列し寛文5年(1665)に老中となり、寛文9年(1669)に土浦藩4万5千石の藩主に就任しています。
土浦藩では、前任から引き続いて城下町の整備が行われており、寛文9年(1669)には土浦城から見て南西方向の高台に鎮座してる愛宕神社を裏鬼門鎮守として奉斎し社殿を造営しています。翌、寛文10年(1670)今度は北東の高台に位置する善応寺を鬼門鎮護として奉斎し観音堂を寄進し、境内から湧き出る照井の井戸から土浦城まで水路を整備しています。又、土屋家の菩提寺を神龍寺に定めています。
数直は領内整備を積極的に進め、寛文年間〜延宝年間には領内全域で検地を行い、池溝の創設、田畑の改良、延宝6年(1678)には土浦城二ノ丸に米倉が建設されています。又、数直は幕府の老中として江戸城に詰めている期間が多かった事から寛文12年(1672)に嫡男である土屋政直に命じて領内巡視を行わせています。延宝7年(1679)死去、享年72歳、戒名:寛翁道智融相院。
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