【 概 要 】−石川総管は下館藩8代藩主石川総貨の長男で嘉永2年(1849)に9代藩主に就任し大坂加番や講武所奉行、陸軍奉行並、陸軍奉行並、若年寄兼陸軍奉行などの要職を歴任しています。戊辰戦争では新政府軍に与したものの、旧幕府軍である土方歳三が侵攻してくると下館城での戦闘回避の為、200両を差し出し戦禍の危機を脱し、自らは笠間や水戸薬王院に身を隠し態度を先延ばす事で無益の戦いを回避しています。新政府軍の侵攻により当地域の旧幕府軍が一掃されると、一転して積極的に新政府軍に協力し事なきを得ています。明治2年(1869)の版籍奉還の後も引き続き下館藩知事に就任し廃藩置県により免官、明治32年(1899)に東京の自宅で死去、享年59歳、戒名「顕光院殿大教正総管道照大居士」、亡骸は旧下館藩領内にあった中館観音寺(筑西市)に葬られました。
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