牧野貞通

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牧野貞通(笠間城)
【 概 要 】−牧野貞通は5代将軍徳川綱吉の側用人である牧野成貞と藤田氏の娘との子供として生まれました。牧野家の家督を継いでいた牧野成央が享保4年(1719)に死去した事で家督と延岡藩(宮崎県延岡市)8万石の藩主に就任しています。その後、享保19年(1734)に奏者番、享保20年(1735)に寺社奉行、寛保2年(1742)に京都所司代など幕府の要職を歴任し、官位は最終的に従四位下、侍従、備後守に達しています。延享4年(1747)に笠間藩(茨城県笠間市)8万石に移封となっています。同年には居城である笠間城の城下町に鎮座している笠間稲荷神社を篤く奉斎し、社領の安堵と祭器具等を寄進しています。寛延元年(1748)、牧野貞通は笠間藩が今まで行っていた検見法から定免制に変え、寛延2年(1748)に不作になった事から事実上の増税となり磯部村名主の清太夫を中心に免税を訴え茨城郡山外郷42ヵ村に及ぶ大規模な一揆が発生しました。笠間藩は幕府勘定奉行神尾春央に相談したところ、厳しくあたる事を示唆した事から、徹底的に弾圧し中心人物と目される清太夫、太郎左衛門、佐太郎が断罪に書されています。寛延2年(1749)に死去、享年43歳。

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