井上正利

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概要・歴史・観光・見所
井上正利(笠間城)

【 概 要 】−井上正利は慶長11年(1606)、横須賀藩の藩主井上正就と市川氏の娘との子供として生まれました。寛永5年(1628)、正就が正利の縁組を巡りトラブルとなり豊島信満に殺害された事を受け井上家の家督を継ぎ横須賀藩の藩主に就任しています。横須賀藩の石高は5万2千5百石ありましたが、弟である井上正義に5千石を分知した事から4万7千5百石となっています。慶安2年(1649)に奏者番に列し2千5百石の加増を受け笠間藩に5万石で移封となり万治元年(1658)には寺社奉行に就任しています。延宝3年(1675)死去、享年69歳。

井上正利の笠間藩での実績としては正保3年(1646)に幕府の許可を得て藩庁である笠間城の改修を行い、特に天守閣に準じる殿守櫓を白壁、瓦葺の建物に建て替えたとされます。領内の全領検地と新開検地も行い藩政の基盤を整えています。社寺の保護も行い、正保年間(1645〜1648年)には笠間城の城内に白狐の棲家を見つけた事を吉兆と悟り城山出世稲荷神社を城内に遷座、慶安2年(1649)には八坂神社を現在地に遷座、寛文8年(1668)には稲田神社に社領3石を寄進しています。

笠間城:写真
笠間城本丸の櫓台と土塁 笠間城本丸の様子 笠間城八幡櫓の櫓台と土塁 笠間城天守台まで続く苔生した石段と石碑
稲田神社:写真
稲田神社石段と石造社号標 稲田神社石畳みから見た拝殿正面 稲田神社本殿と玉垣 稲田神社拝殿と接続している回廊



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