土屋家

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概要・歴史・観光・見所
神龍寺:参道に設けられた中門

【 概 要 】−土屋家は古くから武田家に従い、昌恒の代には武田勝頼の自刃に際し殉死、徳川家康は昌恒の忠誠心に感動し、遺子を引き取り側室である茶阿の局に育てさせました。2代将軍徳川秀忠の側近になると「忠」の字を賜り忠直に改称し。慶長7年(1602)には2万石が与えられ久留里藩を立藩し初代藩主となっています。土浦土屋家初代となる土屋数直は上総久留里藩の初代藩主土屋忠直の次男で、幼少の頃から3代将軍となる徳川家光に仕えました。才覚を現すと書院番組頭、駿府城番、小姓組番頭などの要職を歴任し承応2年(1653)には4代将軍徳川家綱の側衆に任じられました。寛文2年(1662)に若年寄に昇進すると1万石が与えられ土浦藩主にも就任、さらに寛文5年(1665)に老中に昇進し4万5千石に加増されました。

跡を継いだ土屋政直は天和2年(1682)に田中藩(静岡県藤枝市)に移封になりましたが、その後も大坂城代や京都所司代、老中などを歴任、随時加増も行われ貞享4年(1687)に土浦藩(藩庁:土浦城)に復帰、その後も加増が行われ最終的には9万5千石を与えられています。土屋家は11代にわたり土浦藩主を歴任し明治維新を迎えています。土屋家の領内菩提寺は神龍寺(土浦市)、江戸菩提寺は浅草海禅寺とされ殆どの藩主は海禅寺に葬られています。近年、海禅寺の境内が整備された際、土浦の法泉寺に改葬され神龍寺には歴代藩主の位牌が祀られています。

土浦城:写真
土浦城(亀城)の裏升形には人気がなかった 土浦城(亀城)裏升形に設けれた裏門 土浦城(亀城)内堀越に見える太鼓櫓門 土浦城(亀城)内堀越に見える西櫓
神龍寺:写真
神龍寺:中門右側から撮影した本堂 神龍寺:本堂正面にある唐破風向拝 神龍寺:境内に設けられた鐘楼と梵鐘 神龍寺:境内に建立されている銅造慈母観音像



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