乗国寺(結城市)概要: 見龍山乗国寺は茨城県結城市結城に境内を構えている曹洞宗の寺院です。乗国寺の創建は嘉吉元年(1441)、結城合戦にて12代結城持朝が破れ自刃、宝徳元年(1449)13代成朝が先代の菩提を弔う為、松庵宋栄禅師を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
元々、前身となる寺院があったそうですが持朝を開基としてその法名「福厳寺殿天英聖勇大禅定門」から福厳寺に改められました(結城合戦以前から福厳寺だったとも)。当初は鬼怒川と田川に挟まれたところにありましたが文明11年(1479)洪水により大きな被害を受け、14代氏広が現在地に移し氏広の法名「乗国寺殿日峯宗光大禅定門」から乗国寺と寺号を改めています。以来、結城家歴代の位牌所として寺運が隆盛し最盛期には数百人の僧侶、寺領が安堵されていました。
天文年間(1532〜1555年)になると結城氏と関係が深い多賀谷氏からも度々寺領が寄進されるようになり(多賀谷氏の菩提寺である多宝院には乗国寺2世中明栄主の法弟小伝宗ァを迎えている)、天文22年(1553)には16代政勝により結城家歴代の御廟所を慈眼院に移転しています。
18代目は徳川家康の次男秀康を養子として迎えた事で寺運が隆盛し、秀康や越前に移封の後も幕府から庇護され寛永19年(1642)には3代将軍徳川家光より寺領61石の朱印状を賜っています(2派に別れ越前にも乗国寺が創建されています)。
宝暦13年(1763)から式内社健田神社とは神仏習合し祭祀を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により神式が廃され、健田神社も現在地に移転しています。又、その際、慈眼院も廃寺となり結城家御廟(結城市指定史跡)は現在も乗国寺が管理しています。
現在の乗国寺総門は江戸時代初期の延宝7年(1679)に造営されたもので四脚門形式の切妻、瓦葺、一間一戸、総欅造りの禅宗様。山門は江戸時代中期の正徳3年(1713)に造営されたもので竜宮門形式(下部は大正13年にコンクリート造に改築。)の入母屋、銅板葺、三間一戸、楼門で共に貴重な事から結城市指定有形文化財に指定されています。
乗国寺本堂は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。山号:見龍山。院号:覚心院。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
結城市:神社・仏閣・再生リスト
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板
・ 現地案内板(由緒)-見龍山乗国寺
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