孝顕寺(結城市)

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概要・歴史・観光・見所

孝顕寺(結城市)概要: 天女山永正禅林泰陽院孝顕寺は茨城県結城市大字結城に境内を構えている曹洞宗の寺院です。孝顕寺の創建は室町時代後期の永正12年(1515)結城氏15代結城政朝が独峰曇聚禅師を招いて開いたのが始まりとされます。

当初は永正寺と称し玉岡の地にありましたが、政朝が天文16年(1547)に死去すると16代結城政勝が政朝の法名「永正寺殿宗明孝顕寺大居士」から孝顕寺と改称しています。17代結城晴朝は引き続き庇護し寺領として弁天島(立町)の土地を寄進し慶長4年(1599)15代結城秀康(徳川家康の二男)により現在地に移され七堂伽藍を造営しています。

慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで秀康は徳川家一族として会津の上杉景勝の侵攻を牽制した功により福井藩(福井県福井市・本城:福井城)に移封になると、2派に分かれ越前派は秀康の菩提寺となり、結城派は元禄13年(1700)に水野勝長が入封し結城藩を立藩すると藩主となった水野家の歴代の菩提寺(位牌所)として篤く庇護されています。

又、孝顕寺は修行道場としても寺運が隆盛し常時十数名の修行僧が修行に励んでいました。江戸時代末期の結城藩の国家老である小場兵馬は戊辰戦争の際に新政府方に恭順を示したものの、佐幕派が結城城を乗っ取り大きな混乱を招いた事から、その責任を感じて考顕寺の境内で切腹しています。

現在の孝顕寺山門(三門)は江戸時代中期に建てられたもので三間三戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、入母屋、瓦葺、楼門形式、外壁は真壁造り板張り、全体を朱色に塗り2層目には高欄を廻し、孝顕寺と関係が深かった結城家、松平家、水野家の家紋が掲げられています。山門は当時の楼門建築の遺構として貴重なことから昭和52年(1977)に結城市指定文化財に指定されています。

孝顕寺本堂は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。又、孝顕寺境内は結城城の一部だった事から城の総堀(御朱印堀)の一部が残され貴重な事から茨城県指定史跡に指定されています。山号:天女山。林号:永正禅林。院号:泰陽院。寺号:孝顕寺。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

【 孝顕寺菩提者:水野勝長 】-結城藩初代水野勝長は旗本水野勝直の長男として生まれ元禄11年(1698)、福山藩(広島県福山市)5代藩主水野勝岑の養子となり水野宗家を継ぎました。ただし、事実上改易のところ名跡として残されたという意味合いが強く当初の10万1千石から能登羽咋郡西谷領1万石に減封されています。

元禄13年(1670)に結城藩(茨城県結城市)に移封され勝長が初代藩主に就任し元禄14年(1671)に3千石が加増、さらに元禄16年(1673)に5千石が加増され1万8千石となり城主格に列し、以後、明治維新まで水野家が藩主を歴任しています。10代藩主水野勝知は二本松藩主丹羽長富の8男として生まれ、9代結城藩主水野勝任の末期養子として水野家宗家を継いだ人物で大政奉還後は江戸で彰義隊を率いて新政府軍と対立しました。

当時の結城半内では佐幕派と新政府恭順派との対立が激しく、恭順派が許可無く8代藩主勝進の次男である勝寛を10代藩主として擁立し結城城を占拠する事件が発生しました。勝知は彰義隊の一部を領内に呼び込み佐幕派と共に結城城を奪取しますが、新政府軍の侵攻により落城、勝知は城内から脱出すると実家で奥羽越列藩同盟に参加した二本松藩(福島県二本松市)に逃避しています。

その二本松城も落城し捕縛され身柄が拘束されると隠居が命じられ、1千石が減じられと共に正式に勝寛が藩主として認められています。孝顕寺(結城市)は水野家の領内菩提寺でしたが、歴代藩主は江戸の菩提寺である常林寺(東京都港区三田)に葬られ、孝顕寺には藩主として唯一10代水野勝知の墓が建立されています。

孝顕寺の文化財
・ 孝顕寺山門−江戸時代中期−三間三戸,八脚楼門−結城市指定有形文化財
・ 紙本著色武者肖像画(結城政朝像)-桃山-54.8×39.7cm-茨城県指定文化財
・ 紙本著色結城晴朝肖像画−江戸初期-55.6×40.4cm-茨城県指定文化財
・ 紙本著色結城政朝夫人肖像画-桃山-54.9×40.0cm-茨城県指定文化財
・ 結城御朱印堀(結城城跡)-安土桃山時代-茨城県指定史跡

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-結城市教育委員会

孝顕寺:写真

孝顕寺正面にある山門(楼門)
正面にある山門(楼門)
孝顕寺山門から見た本堂
山門から見た本堂
孝顕寺参道から見た本堂
参道石畳みから見た本堂正面と石燈篭
孝顕寺境内にある鐘楼
境内に時を告げる鐘楼と梵鐘
孝顕寺の境内と植栽
境内に作庭された庭園


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