定林寺(筑西市)概要: 定林寺の創建は不詳ですが当初は稲野辺寺畑に真言宗の寺院として創設されていました。文明10年(1478)に水谷勝氏が下館領主になり下館城を築城、文明13年(1481)に良室榮欣和尚(結城乗国寺5世住職)を招いて禅宗に改宗開山し、勝氏の法名「定林寺殿玉叟了圓大居士」から寺号を玉叟山定林寺に改められました。
その後、水谷家歴代の菩提寺として庇護され水谷家からは寺領150石の寄進や堂宇の造営などが行われ享禄元年(1528)に下館城内、寛永7年(1630)に下館藩2代藩主水野勝隆の命で現在地に移りました。寛永16年(1639)に勝隆が備中成羽(岡山県高梁市成羽町)に5万石で転封するとその後は幕府が庇護し寺領20石の朱印状を賜っています。
明治13年(1880)に火災により定林寺の堂宇、寺宝、記録など多くが焼失しましたが、永禄10年(1567)水谷勝俊が寄進した銅鐘(室町時代作、乳数4段4例、総高89cm、直径49cm)が残り昭和38年(1963)に茨城県指定重要文化財に指定されています。境内にある板碑は鎌倉時代に建立されたもので高さ155cm、巾45cm、厚さ5cm、昭和39年(1964)に茨城県指定重要文化財に指定されています。
境内には歴代水谷家の墓域(墓域:間口2間、奥行1.5間・墓碑には初代勝氏、2代勝国、3代勝之、4代勝吉、5代治持、6代政村、7代勝俊、8代勝隆の法名。左右に大小の五輪塔)があり昭和51年(1976)に筑西市指定史跡に指定されています。宗派:曹洞宗。※勝隆が備中成羽に移封になった際、定林寺は2派に分かれ、1派は勝隆に従い備中成羽、備中松山と移り水谷家の菩提寺となっています。
筑西市:神社・仏閣・再生リスト
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-下館商工会議所
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