千妙寺

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概要・歴史・観光・見所

千妙寺(筑西市)概要: 千妙寺は茨城県筑西市黒子に境内を構えている天台宗の寺院です。千妙寺の創建は貞和元年(834)慈覚大師円仁が開山したのが始まりと伝わっています。当初は承和寺と称していましたが、貞観元年(859)に清和天皇の勅願寺になった際、大恩寺に寺号を改めています。

創建当時から境内は筑波山西麓の上野にありましたが平安時代後期に発生した将門の乱の兵火によって焼失し一時衰退、観応2年(1351)に崇光天皇の勅命により亮守が現在地に移し中興開山し法華経一千部を一字一石書写し境内に埋めた事から千部妙経寺に改め、さらに崇光天皇から「東睿山千妙寺」の良翰を賜わり寺号を千妙寺に改めています。

その後、千妙寺は関東の天台宗の拠点や伝法灌頂道場として寺運は隆盛し、領主である小田氏や宇都宮氏、古河公方足利利氏、多賀谷氏などの庇護もあり最盛期には末寺・門徒寺が600余カ寺を抱える大寺に発展します。天正18年(1590)には豊臣秀吉から下馬札を賜り、慶長5年(1600)に亮ェ(天海大僧正の法弟)が住職になると幕府から庇護され慶長9年(1604)には2代将軍徳川秀忠から寺領100石が安堵されています。

現在の千妙寺総本堂は享保13年(1728)の火災で焼失後の元文3年(1738)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺、桁行5間、梁間5間、正面棟唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り木部朱塗り、内部の内陣には本尊である釈迦如来像が安置されています。千妙寺総本堂は江戸時代中期に建てられた数少ない寺院本堂建築の遺構として貴重なことから昭和55年(1980)に筑西市指定有形文化財に指定されています。千妙寺山門は切妻、桟皮葺き、一間一戸、薬医門、左右に袖壁潜戸付。寺宝も多く足利家や豊臣家、徳川家などの縁の品々を多数所有しています。

又、千妙寺では比叡山延暦寺(滋賀県大津市)と当寺にしか伝えられていない灌頂(修行を終えた僧侶が正統な継承者とになる為の儀式)の儀式が行われ大変貴重な宗教行事とされています。常陸西国三十三観音霊場第27番札所(御詠歌:露霜も えにちにさゆる 医王山 清からぬ身も たのみあるかな・札所本尊:十一面観音)。山号:東睿山。院号:金剛壽院。宗派:天台宗。本尊:釈迦如来。

【 参考:サイト 】
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-筑西市教育委員会

千妙寺:総本堂・山門・写真

千妙寺:境内正面に設けられた山門
境内正面に設けられた山門
千妙寺:庭園越に見える客殿
庭園越に見える客殿
千妙寺:右斜め前方から見た客殿全景
右斜め前方から見た客殿全景
千妙寺:文化財指定されている総本堂(釈迦堂)
文化財指定されている総本堂(釈迦堂)
千妙寺:境内に作庭にされた庭園
境内に作庭にされた庭園


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