関城(筑西市)概要: 関城は南北朝動乱時の舞台となった城郭です。案内板によると「 関城はかつて南北朝対立騒乱の時代小田城などとともに常陸国内宮方、南朝方の拠点として知られる史跡です。今、関館一帯8.5ヘクタールの城跡には当時の土塁の一部が残り、関城と運命を共にして戦死した城主関宗祐、宗政父子の墓や北朝方の武将で関城攻撃で戦死した結城直朝の墓があります。ここは東西南の三方が大宝沼にかこまれ、北に壕と掘り前面大宝沼のかなたに友軍の城、下妻城を望む要害の処であり、東の空に筑波の紫峰を望み、かつて南北両軍が血を流した古戦場とはどうしても思われないような景勝の地でもあります。この城には興国2年(1341)小田城から移った北畠親房が、同4年城の陥落前まで留まって、小田城で書いた日本史の本「神皇正統記」に筆を加えて完成したことでも有名です。 筑西市 」とあります。
関城跡には関宗祐父子の墓と伝わる宝篋印塔や関城之碑(明治3年:1870年建立、小山弘の文)、坑道跡、土塁、空堀などが残され、歴史的にも大変貴重な事から昭和9年(1934)に国指定史跡に指定されています。
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