孝顕寺(水野家:菩提寺)

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【 菩提者 】 結城藩初代水野勝長は旗本水野勝直の長男として生まれ元禄11年(1698)、福山藩(広島県福山市)5代藩主水野勝岑の養子となり水野宗家を継ぎました。ただし、事実上改易のところ名跡として残されたという意味合いが強く当初の10万1千石から能登羽咋郡西谷領1万石に減封されています。元禄13年(1670)に結城藩(茨城県結城市)に移封され勝長が初代藩主に就任し元禄14年(1671)に3千石が加増、さらに元禄16年(1673)に5千石が加増され1万8千石となり城主格に列し、以後、明治維新まで水野家が藩主を歴任しています。10代藩主水野勝知は二本松藩主丹羽長富の8男として生まれ、9代結城藩主水野勝任の末期養子として水野家宗家を継いだ人物で大政奉還後は江戸で彰義隊を率いて新政府軍と対立しました。当時の結城半内では佐幕派と新政府恭順派との対立が激しく、恭順派が許可無く8代藩主勝進の次男である勝寛を10代藩主として擁立し結城城を占拠する事件が発生しました。勝知は彰義隊の一部を領内に呼び込み佐幕派と共に結城城を奪取しますが、新政府軍の侵攻により落城、勝知は城内から脱出すると実家で奥羽越列藩同盟に参加した二本松藩に逃避しています。その二本松城も落城し捕縛され身柄が拘束されると隠居が命じられ、1千石が減じられと共に正式に勝寛が藩主として認めあっれています。孝顕寺(結城市)は水野家の領内菩提寺でしたが、歴代藩主は江戸の菩提寺である常林寺(東京都港区三田)に葬られ、孝顕寺には藩主として唯一10代水野勝知の墓が建立されています。

【 寺  号 】 孝顕寺
【 所在地 】 茨城県結城市結城
【 創建年 】 永正12年(1515)
【 開  山 】 独峰曇聚禅師
【 開  基 】 結城政朝
【 山  号 】 天女山
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 結城藩10代藩主水野勝知の墓
茨城県大名菩提寺
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