土浦市: 善応寺

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概要・歴史・観光・見所

善応寺(土浦市)概要: 照井山善応寺は茨城県土浦市真鍋町に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。善応寺の創建は不詳ですが伝承によると南北朝時代頃とされます(一説には室町時代以前とも)。江戸時代に入ると土浦城から北東の方角に当たる為、鬼門鎮護の寺院として歴代藩主から庇護され、寛文10年(1670)に時に土浦藩土屋数直が観音堂を寄進しています。

江戸時代末期、18世住職だった佐久良東雄(万葉法師)は天保13年(1842)に住職を辞してから平田篤胤に師事、その後は尊王倒幕運動に携り万延元年(1860)に幕府から捕縛され獄中死しています。

現在の善応寺観音堂は寛政12年(1800)の火災で焼失後の文化11年(1814)に再建されたもので入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、浜縁、高欄、素地造、屋根の棟には藩主土屋家の家紋である「三ツ石紋」が掲げられ格式を感じる事が出来ます。山門は切妻、本瓦葺き、一間一戸、四脚門。本堂は木造平屋建て、入母屋、本瓦葺き、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。

善応寺境内には昭和7年(1932)に改葬された佐久良東雄の墓があり、同じく尊王派で獄中死した大久保要墓碑と共に土浦市指定史跡に指定されています。境内の片隅には照井の井戸があり、伝承によると弘法大師が錫杖で一突きすると不思議な事に霊泉が滾々と湧き出たとされ江戸時代には土浦城まで水が引かれていたそうです。

山号:照井山。宗派:真言宗豊山派。本尊:大日如来(胎蔵界)。常陸西国三十三観音霊場第9番札所。関東八十八カ所霊場第35番霊場(御詠歌:かぜきよく あかるくまなべの だいしそん まいりねがわん よきこたえをば)。

善応寺の文化財
・ 善応寺観音堂−文化11年-入母屋,桟瓦葺,三間四方-土浦市指定文化財
・ 「聖観音」木額-江戸時代-佐久良東雄の書-土浦市指定有形文化財
・ 六地蔵石憧-室町末期-花崗岩製、重制石憧-土浦市指定有形文化財
・ 佐久良東雄の墓-江戸時代(昭和7年改葬)-土浦市指定史跡
・ 大久保要の墓-江戸時代-土浦市指定史跡
・ 木原老谷の墓-明治時代-土浦市指定史跡
照井の井戸-土浦市指定史跡

【 参考:サイト 】
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-土浦市教育委員会
・ 現地案内板(善応寺の文化財)-土浦市教育委員会

善応寺:写真

善応寺の正面に設けられた山門
正面に設けられた山門
善応寺山門から見た石段
山門から見た石段
善応寺石段から見上げた観音堂
石段から見上げた観音堂
善応寺境内から見た本堂正面
境内から見た本堂正面
善応寺の境内に建立されている鐘楼と梵鐘
境内に建立されている鐘楼と梵鐘


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