東光寺(土浦市)概要: 東光寺の創建は慶長12年(1607)、心庵春伝によって開山されたのが始まりと伝えられています。境内にある薬師堂は瑠璃光殿と呼ばれる建物で元文4年(1739)建築、入母屋、桟瓦葺、桁行3間、梁間3間、外壁は朱色に塗られ、正面には花頭窓、壁四周の欄間部には12支の透かし彫り、木鼻には獅子、妻虹梁には天邪鬼などの彫刻が施されています。東光寺瑠璃光殿は江戸時代中期の御堂建築の遺構で意匠にも優れている事から昭和48年(1973)に土浦市指定文化財に指定されています。
又、境内の南東隅の土盛は江戸時代に築かれた土浦城の南の両側に盛られた土塁の跡で当時はこの土塁を境に上沼、下沼があったとされ昭和48年(1973)に土浦市指定史跡に指定されています。
境内に建立されている辻元順墓碑も昭和53年(1978)に土浦市指定史跡に指定されています。辻元順は享和3年(1803)に常陸国新治郡安居村(現在の茨城県笠間市岩間)の岡本元隆の子供として生まれ土浦藩医辻益順の養子となりました。その後、和歌山藩医華岡青洲(世界初の全身麻酔での手術成功者)に師事しオランダ流外科習得、土浦に帰ってからは藩主の御殿医として活躍し明治13年(1880)で死去、東光寺に葬られています。
十七世ミ道大如は俳人としても知られた人物で東光寺でも度々句会が開かれたとされ、それらが縁で瑠璃光殿前には芭蕉句碑と内田野帆句碑が建立されています。芭蕉句碑は嘉永5年(1852)に建てられたもので元禄7年(1694)に編纂された「続猿蓑」で記載されている「八九間空伝雨降柳可那(八九間空で雨降る柳かな)」が刻まれています。宗派:曹洞宗。本尊:大日如来。
東光寺の文化財
・ 瑠璃光殿-元文4年-入母屋,桟瓦葺,方三間-土浦市指定文化財
・ 南門の土塁-土浦城南門の左右に築かれた土塁-土浦市指定史跡
・ 辻元順の墓−土浦藩の御殿医の墓−土浦市指定史跡
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-土浦市教育委員会
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