東城寺(土浦市)概要: 朝望山東城寺は茨城県土浦市東城寺に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。東城寺の創建は延暦15年(796)、桓武天皇の勅願により伝教大師最澄の高弟最仙上人によって開山したのが始まりと伝えられています。
旧本尊である薬師三尊坐像(平成9年の火災で焼失)は延暦元年(782)、徳一大師が筑波山を開いた際、四方向を鎮護する為に安置されたと伝わるもので、それぞれ「菖蒲沢薬師」、「筑波北面薬師堂」、「椎尾山薬王院」、「朝望山東城寺」が筑波山四面薬師如来として信仰の対象となりました。
その後は常陸国における天台宗の拠点の1つとして寺運が隆盛し、境内は比叡山延暦寺(滋賀県大津市)を模した広大な伽藍を構え僧兵300余人を抱える大寺となりました。
中世に入ると領主である小田城の城主小田氏が祈願所として庇護し真言宗に改宗しています。戦国時代になると小田氏は佐竹氏や北条氏などの大大名に囲われ苦戦を強いられ、永禄12年(1569)には小田城が落城、天正11年(1583)には佐竹氏に従属するようになり天正18年(1590)小田原の役で豊臣秀吉に謁見しなかった事より領地が認められず没落し、東城寺は庇護者を失い一時衰退します。
江戸時代に入ると幕府から庇護され寺領15石を安堵、歴代土浦藩(藩庁:土浦城)の藩主からも庇護され特に3代藩主土屋陳直が帰依し享保7年(1722)に東成寺から東城寺と寺号が改められました。
東城寺本堂は旧新治村指定文化財に指定されるなど威容を誇っていましたが平成9年(1997)火災により焼失し、堂内に安置され茨城県指定文化財に指定されていた本尊薬師三尊坐像(薬師如来坐像、脇侍:日光・月光菩薩)を含む多くの寺宝も失われました。
山門は切妻、銅板(瓦葺風)葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造板張り木部朱塗り、左右には仁王像安置、「東城寺」の寺号額が掲げられています。祖師堂は木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、桁行2間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。山号:朝望山。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来。関東九十一薬師霊場第74番札所。
東城寺の文化財
・ 木造広智上人坐像-嘉禎3年-一木割剥造,檜材,像高75.7p-茨城県指定文化財
・ 木造僧形坐像−鎌倉〜室町時代−土浦市指定有形文化財
・ 銅造供養者形立像−平安時代−土浦市指定有形文化財
・ 六地蔵石幢−室町時代末期−花崗岩材−茨城県指定重要文化財
・ 結界石(1基)-建長5年-雲母片岩材,高さ約1.2m-茨城県指定重要文化財
・ 結界石(4基)-建長5年-土浦市指定有形文化財
・ 東城寺経塚群-平安末期-出土品:銅製経筒,銅製蓋,和鏡など-茨城県指定史跡
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-土浦市教育委員会
・ 東城寺再建記念碑
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