照井の井戸(土浦市)概要: 伝承によると巡錫で当地を訪れた弘法大師が急に喉の渇きを覚え、錫杖を地面に突き刺すと不思議と滾々と霊泉が湧き出てきたと伝えられています。又、常陸一之宮の鹿島神宮の御祭神が御降臨になり、その地から霊泉が湧き出たとも云われています。寛文元年(1661)、土浦藩2代藩主朽木稙昌が領内巡視の際、この井戸の話しを聞くと、家臣に命じて石臼状の石枠の嵌め込み、路盤、石柵を設けるなど整備が行われ「臼井鏡井」とも呼ばれました。新たに藩主になった土屋数直は土浦城から北東にあたる当地を鬼門鎮護の霊地として帰依した為、寛文10年(1670)に善応寺の観音堂を造営すると同時に、照井の井戸から湧き出る霊泉を土浦城の城内に引き込む事を計画し9町40間(1018m)に木樋を埋設しました。この木樋が土浦の上水道の始まりとされ歴代藩主も保全保護に努めて町民や水戸街道を利用する旅人達からも喜ばれました。照井の井戸は現在でもその当時の姿を良く留めており昭和48年(1973)に土浦市指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-土浦市民憲章推進協議会・土浦市文化財愛護の会
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