土浦市: 等覚寺

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概要・歴史・観光・見所
等覚寺(土浦市)概要: 等覚寺の創建は建仁年間(1201〜1204年)、長く当地を支配した小田氏(小田城の城主)の祖である八田知家の子とされる了信房によって開かれたのが始まりとされます。当初は極楽寺と称し藤沢城(小田氏の重要な支城の1つ)にあり小田氏の庇護で寺運も隆盛しましたが戦国時代に入ると佐竹氏の台頭などにより小田氏は次第に衰退し天正18年(1590)の小田原の役で小田原参陣が果せなかった事で大名とは認めらず没落、藤沢城も廃寺となり極楽寺も衰微します。江戸時代に入ると土浦藩主松平信吉から庇護され慶長5年(1605)には境内を土浦城内に移し再興、寺号も蓮光山正定聚院等覚寺に改称しています。元和8年(1622)には2代将軍徳川秀忠も当寺に訪れるなど寺運も再び隆盛します。

等覚寺の寺宝である銅鐘は建永元年(1206)に八田知筑後入道が極楽寺に寄進したもので江戸時代は土浦城にありましたが明治17年(1884)に等覚寺に返却されています。銅鐘は総高134.9cm、外径73.8cm、龍頭高27.4cm、年代が明確なものでは関東では最古、茨城県では般若寺銅鐘(建治元年:1275年:茨城県指定文化財)、長勝寺銅鐘(元徳2年:1330年:国指定重要文化財)と共に常陸三古鐘の1つに数えられ大正9年(1920)に国指定重要文化財に指定されています。

等覚寺鐘楼は慶応元年(1865)に建立されたもので入母屋、桟瓦葺(元こけら葺)、正面軒唐破風、随所に精緻な彫刻が施され、棟梁は土浦出身の大工金子清吉によって手懸けられています。等覚寺鐘楼は昭和48年(1973)に土浦市指定文化財に指定されています。又、大正9年(1920)に土浦城の前川口門が山門として移築されていましたが昭和56年(1981)に再び土浦城の二之門のあった場所(現在地)に移築されています。本堂前のクロマツ(樹高4.6m、幹周1.33m)は土浦市指定の名木・古木に指定されています。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-土浦市

等覚寺:写真

等覚寺
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