郁文館(土浦市)概要: 郁文館は寛政11年(1799)、土浦藩の藩校として7代藩主土屋英直の尽力により開校しました。英直は藩の財政の建て直しや貧困者対策を行うと同時に藩士の教育にも尽力し前身である稽古所を土浦城の城内に設置し論語の「郁々として文なる哉」から郁文館と名付けました。10代藩主土屋寅直は郡制改革や学問の奨励などの藩政改革を断行しその一環として天保10年(1839)に郁文館を現在地に移しています。当時の郁文館は大きく学問を教える文館、武術を教える武館に別れそれぞれ藤森弘庵(小野藩士藤森義正の子供、長野豊山・古賀穀堂などに師事、「海防備論」や「芻言」などを執筆)と島田虎之助(豊前中津藩士・島田市郎右衛門親房の子供、江戸時代後期の剣客、幕末の三剣士、直心影流島田派)、大久保要(館頭,、土浦藩士、尊王派の志士、長沼流の兵法家)、関家(土浦藩の砲術指南役)など当時としては一流の講師陣が教鞭をとり多くの人材を輩出しています。
明治4年(1871)の廃藩置県により郁文館は廃校となりましたが施設はそのまま残され様学校化成館や新治師範学校、土浦高等学校などの校舎として利用されました。昭和10年(1935)に主要な建物は取り壊され現在は正門だけが残り土浦第一中学校の校門として使われています。現在の正門は天保10年(1839)当時のもので、寄棟、桟瓦葺、長屋門形式、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え弁柄塗り、郁文館の唯一の遺構で当時の藩校建築として貴重なことから昭和46年(1971)に土浦市指定有形文化財に指定されています。
長屋門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-土浦市教育委員会
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