神龍寺(土浦市)概要: 神龍寺の創建は天文元年(1532)、当時の領主である土浦城主菅谷勝貞が開基となり雪田真良和尚(即庵宗覚の法弟)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。寛文9年(1669)に初代土浦藩主土屋数直の菩提寺になると歴代藩主から庇護された寺運が隆盛しています。
詳細は不詳ですが土屋家の墓所は江戸浅草の海禅寺にありましたが墓域が整備された際、土浦の法泉寺に改葬されたようで、神龍寺には土屋家歴代の位牌が安置されています。又、江戸時代の俳人内田野帆が選定した土浦八景の1つ"神龍寺晩鐘"で" 寒き夜の ひとちからなり 鐘の音 "の句が添えられています。
神龍寺境内には末寺である正安寺(廃寺)から移された如意輪観音像があり、胸に十字の浮彫りが見られる事から隠れキリシタンの信仰の対象となりマリア観音とも呼ばれています。大正時代に住職だった秋元梅峰和尚は霞ヶ浦海軍航空隊と関係が深く山本五十六も神龍寺に下宿していたとされ、関東大震災や航空隊で犠牲になった慰霊を慰める為、自費を投じて花火大会を始め現在の土浦全国花火競技大会の基礎となっています。
神龍寺の寺宝である絹本著色普賢菩薩像は鎌倉時代末期に制作されたもので縦85.1cm、横38.0cm、密教普賢延命法の本尊である普賢延命菩薩が描かれ貴重なものとして昭和30年(1955)に茨城県指定文化財に指定されています。宗派:曹洞宗。本尊:白衣観世音菩薩。
神龍寺の文化財
・ 絹本著色普賢菩薩蔵−鎌倉時代末期−茨城県指定重要文化財
・ 神龍寺旧本堂天井の雲龍図−江戸時代−土浦市指定有形文化財
・ 色川三中(江戸時代の国学者、商人)の墓−江戸時代−土浦市指定史跡
・ 入江善兵衛の墓−江戸時代−土浦市指定史跡
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-土浦市教育委員会
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