法雲寺(土浦市)概要: 大雄山法雲寺の創建は正慶元年(1332)、足利尊氏が常陸国守護小田治久に命じ、復庵宗己を招いて開山、勅願寺としたのが始まりと伝えられています。復庵宗己は弘安3年(1280)に常陸国で生まれ、小田治久の養子となった人物で延慶3年(1310)に中国に渡ると名僧中峰明本に師事し13年間修業。常陸に戻ると正慶元年(1335)に小田治久の招きで揚阜庵を設け法雲寺の前身となっています。
又、復庵が帰国の際、暴風に巻き込まれ、あわや沈没する寸前に猿田彦命の化身と思われる2人の水夫が出現し危機を逃れた事から揚阜庵の鬼門(北東)には寺の守護神として猿田彦命を祭神とした「梶取大明神」と「帆取天神」を勧請したそうです。
以来、小田氏(小田城の城主)に庇護され寺運が隆盛し、最盛期には末寺300余ヵ寺を抱える大寺として繁栄します。戦国時代末期になると小田氏は佐竹氏や北条氏などに攻められ急速に衰退し法雲寺も天正2年(1573)に兵火により焼失しました。
その後一時衰退しますが寛応宗守により再興され元禄2年(1689)には勅願所となり再び隆盛し紫衣の着用も許されています。法雲寺山門は元享3年(1323)に建てられたもので、切妻、銅板葺、四脚門、唯一創建当時の姿を留めていると云われています。法雲寺は現在も多くの寺宝を所有していて多数が国や県、市指定文化財に指定されています。関東薬師霊場75番札所。山号:大雄山。宗派:臨済宗建長寺派。本尊:釈迦如来。
法雲寺の文化財
・ 絹本著色復庵和尚像−室町時代−国指定重要文化財
・ 絹本著色高峰和尚像−中国元時代−国指定重要文化財
・ 附絹本著色中峰和尚像−中国元時代−国指定重要文化財
・ 紙本著色釈迦涅槃像−鎌倉時代−茨城県指定重要文化財
・ 紙本著色小田政治肖像画−室町時代末期−茨城県指定重要文化財
・ 紙本著色小田氏治肖像−室町時代末期−茨城県指定重要文化財
・ 銅造阿弥陀如来像−鎌倉末期〜南北朝−茨城県指定重要文化財
・ 木造中峰禅師坐像−茨城県指定重要文化財
・ 棕毛払子−鎌倉時代末期−茨城県指定重要文化財
・ 青磁三階塔−中国明時代中期−茨城県指定重要文化財
・ 竹繊払子−中国元時代−茨城県指定重要文化財
・ 紺紙金泥大般若波羅密多経−鎌倉時代末期−茨城県指定重要文化財
・ 法雲寺文書−室町時代−茨城県指定重要文化財
・ 絹本着色草座釈迦−室町時代−土浦市指定有形文化財
・ 絹本着色観世音菩薩像−江戸時代−土浦市指定有形文化財
・ 絹本着色渡唐天神立像−江戸時代−土浦市指定有形文化財
・ 絹本着色雪伝肖像画−安土桃山時代−土浦市指定有形文化財
・ 法雲寺境内庭園−室町〜江戸時代−土浦市指定名勝
|