常陸太田市: 瑞龍山

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概要・歴史・観光・見所
瑞龍山(常陸太田市)概要: 瑞龍山は茨城県常陸太田市瑞龍町に位置する水戸徳川家の墓域です。寛文元年(1661)、初代水戸藩主徳川頼房(徳川家康11男)が水戸城内で死去すると遺言により、2代藩主徳川光圀が瑞龍山を歴代水戸藩主の墓域と定めました。頼房は儒学や神道を好み、光圀もそれに順じた為、葬儀や墓碑は儒教式で行われ、所謂寺院で僧侶が墓守をする菩提寺とは異なる形式を用いました。この様な形態は珍しいものですが儒教式としては岡山藩の和意谷池田家墓所(岡山県備前市吉永町)、神式としては会津藩の松平家墓所(福島県会津若松市)や加賀藩の前田家墓所(石川県金沢市)などにも山全体が墓域になっている例が見られます。

瑞龍山の「水戸コ川家墓所」は国見山の南側丘陵斜面部に位置し東西約360m、南北約50 0m、標高134〜65mに造営され、最高所に頼房の墓所が設けられ、歴代藩主は東の峰と西の峰に別れ、代替わ毎に振り分けられていました。延宝5年(1667)には谷久子(頼房側室、光圀生母)と武田信吉(家康5男、頼房以前の水戸藩主)が水戸から改葬され、明の儒学者で日本に亡命し光圀が敬愛した朱舜水も瑞龍山に明朝様式の墓碑が建立されました。又、藩主の夫人墓29基の他、水戸藩の支藩で一族である守山藩、府中藩宍戸藩の歴代藩主、頼房の8男松平頼泰の家系である長倉松平家の歴代当主など86基なども合わせて瑞龍山に葬られており墓碑の合計は119基を数えています。墓の形状も儒教式とされ所謂「亀趺墓」と呼ばれるもので墓の式台は亀の胴体に竜の首が付いています。「水戸コ川家墓所」は平成19年(2007)に国指定史跡に指定されています。

瑞龍山の埋葬者 水戸藩主(水戸徳川家当主):徳川頼房・光圀・綱條・宗堯・宗翰・治保・治紀・斉脩・斉昭・慶篤・昭武・篤敬・圀順・圀斉
水戸徳川家当主夫人
守山藩主:松平頼元・頼貞・頼寛・頼亮・頼慎・頼誠・頼升・頼之
常陸府中藩主:松平頼隆・頼如・頼明・頼永・頼幸・頼済・頼前・頼説・頼縄・頼策
宍戸藩主:松平頼雄・頼道・頼慶・頼多・頼救・頼敬・頼かた・頼位・頼徳
長倉松平家当主
その他一族
武田信吉(徳川家康5男,武田家の名跡を受継ぎ水戸藩25万石を立藩)
久昌院(谷重則の娘,徳川頼房の側室,徳川光圀の生母)
朱舜水(中国明代の儒学者,日本に亡命後,徳川光圀の招きで水戸来藩)

瑞龍山:写真

瑞龍山
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