常陸太田市: 西金砂神社

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概要・歴史・観光・見所
西金砂神社(常陸太田市)概要: 西金砂神社は茨城県常陸太田市上宮河内町に鎮座している神社です。西金砂神社の創建は平安時代初期の大同元年(806)、天台宗の僧侶宝珠上人が比叡山の麓にある日吉権現(日吉大社:滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。宝珠上人は栃木県那須郡那珂川町(旧馬頭町)出身とされ、西金砂神社だけでなく、近隣の東金砂神社や鷲子山上神社(栃木県那須郡那珂川町矢又・茨城県常陸大宮市鷲子)を開いている事からかなり徳が高く影響力があった名僧だった事が窺えます。当初は仏教色の強い神社で境内は比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)を模した伽藍が造営され、西金砂山の麓にある諸沢村堂平には千手観音堂、赤土村太平山には鐘楼と経堂、中染村羅漢沢には十六羅漢堂があったそうです。

中世に入ると領主で太田城の城主ある佐竹氏の崇敬社として庇護され東金砂神社と共に領内常陸7郷の総社となり社領1万石(後200石)、衆徒は300坊(後21坊)を数え境内には七堂伽藍が建ち並んでいたそうです。伝承によると平安時代末期に源頼朝と対立した佐竹氏は絶対絶命の窮地に立たされますが、境内地でもある金砂山城に籠城すると日吉大社の神の遣いとされる猿達がどこからともなく現れ山の幸を運んでくれ窮地を脱する事が出来た事から篤く信仰するようになったと伝えられています。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで佐竹氏は東西中立を保った為久保田(現在の秋田県の大部分)へ移封となり西金砂神社は庇護者を失いましたが、江戸時代に入ると幕府から庇護され社領24石が安堵、元禄13年(1700)には水戸藩(藩庁:水戸城)による神仏分離が行われ改めて西金砂神社となりました(佐竹氏は新たな本城となった久保田城の城下町にも金砂神社を創建しています)。

現在の西金砂神社本殿は文化元年(1804)に再建された建物で、一間社入母屋造、銅板葺き、正面には軒唐破風の向拝、細部には精巧な彫刻が施されています。拝殿は木造平屋建て、撞木造、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り、縁の下には歴代の狛犬と獅子、向拝前には三猿の像が安置されています(猿は山王信仰では神の遣いとして信仰の対象となっています)。

西金砂神社の大祭礼は仁寿元年(851)から72年毎(小例祭は7年毎)に行われる奇祭で約600人の氏子が7日間掛けて行われる行事で神輿を水木(日立市)の浜まで運び海中に入れ清め、西金砂田楽舞(国選択民俗芸能・茨城県無形民俗文化財)を奉納し天下太平、五穀豊穣を祈願します。又、境内には推定樹齢700年のイチョウ(根元周12m、目通周囲80.2m、樹高約29m)とサワラ(根元周12m、目通り幹囲約6.5m、樹高30m)の大木があり昭和44年(1969)に茨城県指定天然記念物に指定されています。祭神:大己貴命、国常立命、少彦名命。

西金砂神社:写真

西金砂神社の木製鳥居と自然石の社号標
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西金砂神社の石造社号標と苔生した石段参道 西金砂神社の境内から見た拝殿遠景 西金砂神社石段から見上げた拝殿 西金砂神社拝殿の縁の下にある木製狛犬と三猿
西金砂神社境内高台から見下ろした拝殿 西金砂神社本殿へと続く勾配のきつい石段参道 西金砂神社本殿を見上げた図 西金砂神社のイチョウとサワラ


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