正宗寺(常陸太田市)概要: 萬秀山正法院正宗寺は茨城県常陸太田市増井町に境内を構えている臨済宗円覚寺派の寺院です。正宗寺の創建は延長元年(923)、平良将(平将門の父親)によって開かれたのが始まりとされます。当初は増井寺と称し律宗の寺院でしたが永承6年(1051)の前九年合戦の際に源義家が戦勝祈願を行い密宗に改宗し寺号を大瑞山勝楽寺に改めています。
貞応2年(1223)、佐竹秀義が勝楽寺の境内に支院である正法院を創建、さらに弘安8年(1285)、佐竹行義が正式な寺院として南明山正法寺を創建しています。暦応4年(1341)には佐竹貞義の庶長子月山周枢が正法寺の境内に正宗庵を設け、さらに佐竹義篤が臨済宗の寺院として寺号を正宗寺に改めています。
その後の正宗寺は佐竹氏歴代の菩提寺として庇護され勝楽寺、正法寺など共に中世常陸の文化の中枢を担い寺領4万石(3カ寺合計)を領し関東十刹の一つにも数えられるなど寺運が隆盛します。天正年間(1573〜1593年)の兵火により多くの堂宇は焼失した事で勝楽寺と正法寺は衰微し正宗寺だけは残りましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで佐竹氏は東西中立を保った為、慶長7年(1602)に久保田藩(秋田県)21万石に移封となり庇護者を失い一時衰退します。
江戸時代に入ると幕府から庇護され3代将軍徳川家光から朱印状100石を賜り、歴代水戸藩主も帰依したことで末寺12ヶ寺を抱える大寺として維持しました。
天保9年(1838)の火災で正宗寺の多くの堂宇が焼失した為、現在の古建築物は室町時代に建てられた総門(切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門、常陸太田市指定有形文化財)と天保10年(1839)に再建された庫裏(木造平屋建、寄棟、桟瓦葺、平入)、明治3年(1870)に再建された本堂(寄棟、桟瓦葺、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ※昭和63年に再建)だけとなっています。
正宗寺は数多くの寺宝を所有し、境内には歴代佐竹氏の墓(宝篋印塔)と伝わる墓域や水戸藩主徳川光圀に仕えた佐々宗淳(テレビドラマ「水戸黄門」の格さん役のモデルになった人物)の墓など歴史的史跡もあり歴史を感じることが出来ます。山号:萬秀山。院号:正法院。寺号:正宗寺。宗派:臨済宗円覚寺派。本尊:十一面観世音菩薩(伝:弘法大師空海)。
正宗寺の文化財
・ 絹本著色開山夢窓国師頂相-室町時代−117.5×59.6cm-茨城県指定重要文化財
・ 絹本著色月山和尚頂相-室町時代-100×53cm-茨城県指定重要文化財
・ 絹本著色十六羅漢像(16幅)-室町時代-92.2×41.2cm-茨城県指定重要文化財
・ 紙本著色滝見観音図-室町時代-85.4×36.4cm-茨城県指定重要文化財
・ 絹本著色如意輪観音図-南北朝時代-67.3×37.0cm-茨城県指定重要文化財
・ 木造十一面観音菩薩座像-鎌倉末期-寄木造,像高63.7p-茨城県指定重要文化財
・ 正宗寺総門-室町時代-切妻、桟瓦葺、四脚門-常陸太田市指定有形文化財
・ 紙本著色月山和尚頂相(1幅)−常陸太田市指定有形文化財
・ 絹本著色釈迦十六善神像−常陸太田市指定有形文化財
・ 絹本著色地蔵龍王像−常陸太田市指定有形文化財
・ 紙本墨画中峰明本像−天保9年−常陸太田市指定有形文化財
・ 紙本墨画維摩居士図−常陸太田市指定有形文化財
・ 紙本墨画楊柳観音図−常陸太田市指定有形文化財
・ 絹本著色送別図−常陸太田市指定有形文化財
・ 紙本墨画飲中八仙・西園雅集図屏風−常陸太田市指定有形文化財
・ 阿弥陀如来座像−常陸太田市指定有形文化財
・ 木造釈迦如来座像−常陸太田市指定有形文化財
・ 女乗物(1基)−常陸太田市指定有形文化財
・ 志野焼角皿(1個) −常陸太田市指定有形文化財
・ 懸盤(1個)−常陸太田市指定有形文化財
・ 高杯(1個)−常陸太田市指定有形文化財
・ 脇息(1個)−常陸太田市指定有形文化財
・ 銭壷・古銭−常陸太田市指定有形文化財
・ 正宗寺所蔵文書(3通)−常陸太田市指定有形文化財
・ 佐々宗淳の墓(「水戸黄門」の助さんのモデル)−常陸太田市指定史跡
・ 正宗寺の柏槙(2株)-推定樹齢600年,樹高10m-常陸太田市指定天然記念物
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-常陸太田市教育委員会
・ 現地案内板(正宗寺の柏槙)-常陸太田市教育委員会
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