若宮八幡宮(常陸太田市)概要: 若宮八幡宮は茨城県常陸太田市宮本町に鎮座している神社です。若宮八幡宮の創建は室町時代の応永年間(1394〜1428年)に佐竹家十三代佐竹義仁が鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の分霊を太田城の城内に勧請し鎮守社としたのが始まりと伝えられています。佐竹氏は源氏の血を引く家柄の為、源氏の氏神である八幡神の信仰に深く帰依していた事から、歴代当主の崇敬社、祈願所として庇護されました。
戦国時代に当主だった佐竹義宣が本拠を太田城から水戸城に遷すと、水戸城の城下町にも馬場八幡宮から分霊を勧請し水戸八幡宮を創建しています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで義宣は東西中立を保ったものの、事実上西軍として処分され久保田(秋田県)へ移封となった為、当社は庇護者を失い一時衰退します。佐竹義宣は移封先の久保田城の城内に分霊を勧請し八幡神社を創建し、現在は八幡秋田神社となっています。
慶長14年(1609)水戸藩(藩庁:水戸城)の藩主となった徳川頼房が7歳の時重病に罹り、若宮八幡宮に祈願したところ見事快癒したことから歴代藩主から崇敬されるようになりました。元禄5年(1692)には2代藩主徳川光圀によって太田郷の鎮守に選定され、宝永5年(1708)に太田稲荷神社(太田稲荷神社は太田大夫通延が領主時代に創建)と共に現在地に遷座しています。
徳川光圀は水戸藩独自の神仏分離や社寺統合を図り、当時領内に八幡神社は105社鎮座していましたが、この政策により101社が廃社に追い込まれ、若宮八幡宮は残された4社(安良川八幡宮・水戸八幡宮・若宮八幡宮・馬場八幡宮)の1社として特別視された事が窺えます。若宮八幡宮は明治時代の神仏分離令を経て明治14年(1884)に郷社に列しています。
若宮八幡宮の本殿は2棟並列して正八幡宮(岩清水八幡宮の分霊)と若宮八幡宮(鶴岡八幡宮の分霊)が祀られる形式は、移封先の久保田城の支城である大館城の城下町に勧請された大館八幡神社(秋田県大館市)でも見られ興味深い所です。境内には推定樹齢600年、目通幹周8.35m、樹高30mのケヤキがあり県内を代表する古木大木として貴重な事から昭和46年(1971)に茨城県指定天然記念物に指定されています。若宮八幡宮には社宝も多く、絹本著色僧形八幡画像が貴重な事から昭和48年(1973)に常陸太田市指定文化財に指定されています。
若宮八幡宮神門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は2棟共一間社入母屋造、銅板葺き。祭神:大鷦鷯命(仁徳天皇)、倉稲魂命。
常陸太田市:神社・仏閣・再生リスト
|